2018年07月21日

北欧3ヵ国を訪ねて 14: スカンディナヴィアが育んだもの

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< 1. ヴァイキング船 >


今日は、北欧三ヵ国がなぜ先進的で民主的な国家になりえたかを考えます。
その礎はスカンディナヴィアの自然と地理にあった。



* はじめに
スカンディナヴィアは半島も意味するが、同じ民族が起源のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの国土も意味する。

この地域はヨーロッパの北端にあるが、ノルウェー湾を流れる暖流によって寒さは緩和されている。
さらにノルウェー沿岸は豊かな漁場です。
しかし古くは、陸では一部畜産が可能だが総じて農業は不調で、林業が重要な資源でした。

南側のバルト海は大きな内海のようなもので、デンマーク、スウェーデン、フィランド、ロシア、バルト三国、ポーランド、ドイツを結ぶ役割を担った。
バルト海はヨーロッパと東方の交易を発展させ、東方に向かったヴァイキング(8-12世紀)がロシア誕生の切っ掛けを作り、次いでハンザ同盟(13-17世紀)の繁栄を生んだ。



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< 2. スカンディナヴィア >

上の地図: 三つの枠は写真の撮影地を示す。

下の地図: スカンディナヴィアから出たヴァイキングの航路を示す。
ヴァイキング拠点の内三か所は黄色枠内のストックホルム周辺ビルカ、赤枠内のオスロ湾、白枠内のコペンハーゲン近郊のロスキレです。

他に重要な箇所はユラン半島の二か所とノルウェー湾側です。



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< 3. スウェーデン >

三枚ともストックホルム近郊の湖です。
スウェーデンは深い森で覆われ、南部はこれに広大な湖が加わる。
古くは農耕に適していなかった。
しかしこの入り組んだ湖と島嶼のおかげで小舟が発達し、ヴァイキングに繋がった。

デンマークの自然景観はスウェーデンに似ているが、森は深くなく農業や酪農が可能だった。
また海岸には浅瀬や入り江も多く、これまた小舟が発達した。

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< 4. オスロ湾 >
 
私達にはノルウェー湾側のU字型の深い渓谷のフィヨルドに馴染みがあるが、オスロ湾もフィヨルドです。
ノルウェーはノルウェー湾と北海に囲まれ、豊かな漁業資源とフィヨルドによって、これまた船が発達することになった。

これら北欧の景観は、すべてを完全に覆っていた氷河が1万前頃から後退したことによって出来た。



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< 5. デンマーク >

上の写真: エーレスンド海峡
左にかすかにクロンボ―城が見える。

下の写真: クロンボ―城の大砲がエーレスンド海峡に向けられている。

デンマークは特別な地政学的役割を持っていた。
ユラン半島は大陸と繋がり、さらにバルト海と北海を繋ぐ役割を担っていた。
大陸と繋がっていることで一早く西洋文明が流入して来たが、その一方で大国の侵攻に悩まされた。

古くはヨーロッパの北方の東西交易はユラン半島の根元で、バルト海の海上から陸上へと荷の積み替えで行われていた(ハンブルグを通過)。
やがて航海術が発達すると、船はエーレスンド海峡を抜けて北海とバルト海を直接結ぶようになった。
このことでデンマークは海峡を通る船に関税を掛けて国庫は豊かになった。
しかし、この海峡が周辺国にとって軍事と交易上の拠点になったことで、首都のコペンハーゲンが幾度も攻撃されることになった。



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< 6. 木造 >

上の写真: ノルウエー民族博物館にあるノルウェー南西部の農家。
これは18から19世紀の特徴を持った小屋でノルウェー湾沿いのフィヨルドの村に建っていたものを移築したものです。

下の写真: ロスキレのヴァイキング船博物館のヴァイキング船。
上記小屋の右側壁とこの船の板の重ね具合(鎧張り)が似ている。
写真No. 1のヴァイキング船はオスロのヴァイキング船博物館のものです。
板の重ね具合は同じ。

北欧三ヵ国のヴァイキング船の造りは皆似ているが、ノルウェーのものは他の二ヵ国より大きい。
これは荒海を航海する為、また豊富な高木(オーク)に恵まれたからでしょう。



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< 7. 北欧の産物 >

左上の写真: 琥珀が埋め込まれたサンホルダー。
コペンハーゲンの国立博物館で。
青銅器時代(BC1700〜BC500年)のもので、柄の形から船などに取り付けられたらしい。
赤い琥珀が非常に魅惑的でした。
琥珀はバルト海周辺が有名ですがデンマークでも採れ、琥珀街道を経て地中海まで送られたことでしょう。


右上の写真: コペンハーゲンの市場の魚介類。
北の海は豊かで、中世より西ヨーロッパの胃袋を満たして来た。

下の写真: ノルウェーのフラム号博物館横の捕鯨砲。
捕鯨が盛んだったノルウェーが最初に捕鯨砲を装備した捕鯨船を実用化した。


初期にはスカンディナヴィアの三ヵ国はヴァイキングとして北海やバルト海を経て主にヨーロッパ方面の略奪、黒海方面との交易、次いで西ヨーロッパに移住するようになった。
一方、ドイツ勢の北方十字軍(12世紀〜)などがバルト海の大陸側に植民地を拡大し、各地にハンザ同盟都市が組織され始めた。

一方、キリスト教が定着したのはデンマークで10世紀半ば、スウェーデンで12世紀半ばでした。
これら交易と宗教の大転換が、ヴァイキングの終焉を確実にしたのだろう。

やがてスウェーデンのストックホルム(13世紀半ば〜)とノルウェーのベルゲンがハンザ同盟都市として発展した。
コペンハーゲンと上記二つの都市には多くのドイツの商人や雇われ高官が住むようになり、進んだ知識がドイツからもたらせることになった。



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< 8. フラム号博物館 >

上の写真: ノルウェーのビィグドイ地区。
左がフラム号博物館で、右がコンティキ号博物館。

コンティキ号はノルウェーの人類学者が、インカ文明の筏を再現したものです。
1947年、彼はこの筏でペルーから海流に乗って南太平洋の島に辿り着いた。
このことでポリネシア人がアメリカ・インディアンの子孫であることを証明しようとした(本当はアジア人が祖先)。


下の写真: 実物のフラム号の甲板上にて。フラム号博物館で。
船を囲む映像や効果音、瞬く光で、あたかも船が北極海を進んでいるような気分になった。

この船はノルウェーの探検家ナンセンが1893年から3年をかけて北極海を漂流した時に使用したものです。
さらにはノルウェーの有名な探検家アムゼン、世界で初めて両極点に到達した彼が、この船を2回使用している。

実はヨーロッパ大陸の人間が最初に北米大陸を発見したのはノルウェーのヴァイキングで、1000年の初めにグリーランドから北米の北端に達していた。
彼らは移住出来ずに引き返すことになった。

このようにノルウェーを含めてスカンディナヴィアの人々は冒険心が旺盛です。
これは現在にも受け継がれている。
人口(需要)や資源の少なさを埋める為に科学技術や多言語習得を重視し、販路やチャンスを海外に求めることに積極的です。
今も若者は一度は海外に出ることを家族から奨励される。


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< 9. エコと森に囲まれた公園? >

上の写真: コペンハーゲン。
大都会だが車は少なく自転車が多い。

デンマークには有名な風力発電機メーカーがあり、国全体の電力の2割が風力発電機によって賄われている。
北欧はエコ(省エネ、環境保護)の意識が非常に高い。
これも美しい森や湖と共に暮らしているからもしれない。

しかし私が1984年に北欧を訪れた時、ここまで自転車は多くはなかった。
ここでも関心することは、おそらく石油価格の高騰に合わせて国民全体が車社会からの転換を図ったのだろう。
北欧の凄い所は、政府と国民が一緒になって社会経済を変え続けることです。

下の写真: 皆さん! これは公園でしょうか?


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< 10. 墓地 >

上の写真: ストックホルム近郊の墓地で、No.9の下の写真はその入口です。
朝訪れると、ジョギングする人に出会った。

下の写真: オスロの墓地。
共に非常に広大な墓地で、造り方のコンセプトは一緒でした。

スウェーデンには世界遺産の「森の墓地」スクーグシェルコゴーデンがあります。
しかし、この二つの墓地を見れば「森の墓地」が画期的な構想で造られたものではなく、北欧文化に根差した死生観を表象したものであることがわかります。
彼らは森と共に生き、森に帰るのです。


* あとがき

北欧の心性を考えるとき、際立つものがある。
それは国民の政治意識の高さと、労働界と経済界の協力関係です。

ノルウェーからのヴァイキングが移住したアイスランドでの決め事はかつて全島集会で行われていた。
つまりヴァイキングの成員は平等だった。
ヴァイキングは略奪品として奴隷貿易を行ったが、自身の社会では奴隷制が発達しなかった。
また強力な貴族が生まれず国家誕生も遅れ(11〜12世紀)、封建制も未発達でした。

この要因の一つに少ない農作物の余剰があったと推測します。
また北欧へのキリスト教の布教は進まず、国家誕生と同時期になった。
これらにより人々は貴族や司教による強力な支配を免れ、また王と貴族の力が均衡することになったのだろう。

このことが国家誕生後の王家の有り様に影響した。
王家が危機に瀕すると人々は貴族らを牽制するために他国から王を招聘することを度々行った。

こうして北欧ではヴァイキング時代から、脈々と民主的な政治運営が続いていると言える。
つまり、自分達が動かす政治だからこそ政府を信頼しており、これが絶え間ない革新を生むことに繋がっているようです。


次回に続きます。


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2018年07月18日

北欧3ヵ国を訪ねて 13: 戦争と平和

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< 1. デンマーク軍のコペンハーゲン凱旋 >


今日は、北欧三ヵ国の戦争と平和を取り上げます。
北欧は長い戦いの末に先駆的な外交政策を行い、自国だけでなく世界の平和に貢献している。



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< 2. 北欧の戦争 >

この地図は北欧三ヵ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)が如何に周辺諸国と戦争をして来たかを示す。
この地図はヴァイキング時代後の国家間の戦争を示している。

一方向の矢印は、一方的な戦争または侵攻を示し、黒は植民地化を示している。
周辺国以外の北欧の植民地は除いています。
両方向の矢印は通常の国家間の戦争です。

北欧の中ではスウェーデンとデンマークが、かって周辺諸国を併合し帝国と呼ばれた時代があった。
デンマークはユラン半島で大陸と陸続きなので、特に国境を接しているドイツと領土争いを長らく繰り返した。
写真1はその戦いの一つシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(19世紀)の一幕です。


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< 3. ストックホルムにて >

上の写真: ユールゴーデン島のヴァーサ博物館のヴァーサ号。
これは17世紀のスウェーデンの戦艦で、初航海で沈没したのを引き上げ復元したものです。
64門の大砲を有する堂々とした全長69mの戦艦が蘇っています。

この戦艦はスウェーデンによるバルト帝国の最盛期を象徴している。
スウェーデンは16世紀初頭よりバルト海周辺諸国を併合し、1618年に始まった30年戦争(最大の宗教戦争)にプロテスタント国として参戦した。
この戦艦はバルト海に面したドイツの港の攻城戦に投入される為に、1628年に重装備を重ねて出港したが沈没した。
30年戦争が終わった時、スウェーデンは北ドイツにも領土を得ていた。

下の写真: ガムラスタン(旧市街)の大広場。
バルト帝国を築いたヴァーサ王朝はこの大広場で起きた事件を契機に誕生したと言える。

1520年、この広場で「ストックホルムの血浴」と呼ばれる虐殺が起きた。
当時、北欧三ヵ国はデンマーク王家が支配するカルマル同盟を結んでいたが、スウェーデン国内では独立を目指す内戦が続いていた。
反乱軍を制圧したデンマーク王は晩餐会を開くと偽り、スウェーデンの有力者を招き、この広場で多数処刑した。

この裏切りに怒ったスウェーデンの人々は、この事件で父を虐殺されたヴァーサを指導者にして独立戦争を戦い抜き、3年後に独立を得た。
こうしてヴァーサ王朝が誕生した。


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< 4. オスロにて >

上の写真: ノルウェー抵抗運動博物館の外観。
小さな建物だが、地下にも展示場が広がっている。

建物に掲げられている肖像画はホーコン7世で、彼は第二次世界大戦でドイツの支配に抵抗したノルウェー王です。
これを描いた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」が最近日本で上映された。
この博物館は当時の国民の抵抗運動を展示している。


下の写真: 博物館の展示。


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< 5. オスロ湾にて >

上の写真: 写真の左側の島がオスロ湾で最も狭いドレーバク水道にあるオスカシボルグ要塞Oscarsborg Fortressです。
フェリーからオスロ側(北側)を見ている。

実はこの要塞からの砲撃が「ヒトラーに屈しなかった国王」のストーリーを作ったと言える。
この要塞を守る指揮官がオスロ湾に侵入するドイツ艦隊に独断で砲撃し、その旗艦を撃沈した。
私は映画を見て、これが及び腰の政府や象徴的な存在であった国王親子に抵抗する機会を与えたように思った。
ノルウェー各地から攻め込んだドイツ軍は圧倒的に優勢だったが、王家と政府の逃避行、ホーコン7世の降伏拒否、そして英国への亡命によって、国民はナチスの支配を拒否した。
こうしてノルウェーのレジスタンスは終戦まで続いた。

下の写真: 映画「ヒトラーに屈しなかった国王」。
タイトルはノルウェー語で、「王のノー」です。

この映画はスぺタクルではなく、主に国王の葛藤を描き、銀幕から王家の役割と大国に抗う小国の悲哀がひしひしと伝わって来ました。


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< 6. クロンボ―城の地下 >

上の写真: デンマークのシェラン島北東部、幅7kmのエーレスンド海峡に睨みを利かすように建っているクロンボ―城。

下の写真: このクロンボ―城の地下に眠るホルガー・ダンスク像。
彼はフランク王国のカール大帝(8世紀)に歯向かった中世ヨーロッパの伝説上の英雄です。
やがてデンマークで、洞穴の眠れる英雄が国の有事に復活するというホルガー・ダンスク伝説が出現した。

第二次世界大戦中、デンマークもナチス・ドイツに占領されたが、この時のデンマークのレジスタンスは「ホルガー・ダンスク」と名乗った。



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< 7. ロスキレ湾とヴァイキング >

上の写真: この地はヴァイキング時代の拠点の一つでした。
ここにヴァイキング船博物館があります。

下の写真: これらは沈没していた5隻のヴァイキング船の内の2隻で、修復され復元されたものです。

オスロ湾は奥深く入り込んでいて水深が浅いのですが、幾筋かの細くて深くなっている水道があります。
11世紀、5隻の船は敵の襲撃を防ぐために、この水道の一つを塞ぐように沈められていた。
このロスキレは11世紀から15世紀半ばまでデンマーク王国の首都でした。

ヴァイキング時代は11世紀半ばで終焉するのですが、この頃には侵略する側から攻められる側にもなっていた。







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< 8. コペンハーゲン港の要塞 >

上の写真: カステレット要塞。
この写真は運河クルーズ船から撮影したもので、右側に人形の像が見える。

この要塞は上空から見ると典型的な星型要塞で、17世紀半ばに造られた。
しかしその雄姿を忍ばせる面影はない。
コペンハーゲン港は幾度も大艦隊による大規模な破壊に遭い、古い姿を留めることができなかった。


下の写真: Trekroner Fort。
左側に見えるのがコペンハーゲン港の入り口にある島の要塞で、18世紀初頭に造られた。

ナポレオンが覇権を拡大する中で、中立を望んでいたデンマークではあったが、その圧力に負けてフランス側に付くと、フランスに敵対した英国は大艦隊をもってコペンハーゲンに来襲した。
1801年、デンマークとノルウエーの艦隊、そしてTrekroner Fortなどが英国艦隊を迎え撃ったが、あえなく敗北を喫した。



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< 9. フレデリクスボー城と絵 >

上の写真: フレデリクスボー城の中庭。
この城は16世紀中頃より19世紀中頃までデンマーク王の居城だった。
またこの期間はスウェーデンがカルマル同盟から独立していたが、ノルウェーはデンマークに統治され続けた時代にちょうど重なる。
この地はコペンハーゲンよりはオスロに近い場所と言える。

下の写真: フレデリクスボー城に掲げられていた絵。
額に「・・コペンハーゲン・・1659年2月10−11日」と銘記されていた。
この前年からスウェーデン軍は凍結した海峡を渡りコペンハーゲン港を攻略しており(氷上侵攻)、デンマークはこの敗北によってスウェーデン南部などの領土を失った。

スウェーデンが勢力を拡大し続ける中で、17世紀中頃からデンマークは小国へと没落していくことになった。
しかし、スウェーデン(バルト帝国と同盟軍)もヨーロッパを二分した大北方戦争(1700−1721年)でロシア帝国と同盟軍に破れ、没落することになった。







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< 10. ノルウエーの平和貢献 >

上の写真: オスロ湾に面して建つノーベル平和センター。
ノーベル平和賞と平和について展示。

ノーベル賞の創設者ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与だけはノルウェーで行うことにした。
これはなぜなのか?

北欧三ヵ国の中でもっとも人口の少ないノルウェーは1450年からの長きに渡りデンマーク、次いでスウェーデンに支配され続けて来た。
やっと1905年、ノルウェーはデンマーク王家から王子を迎え、立憲君主制を樹立し、平和裏に独立を行った。
この王子が「ヒトラーに屈しなかった国王」のホーコン7世になった。

映画によると、彼がヒトラーに降伏しないと返答したのは、自分が国民に選ばれた象徴(王)に過ぎず、勝手に重大な決断をすべきでないと考えたからのようでした。
この王の自覚と身命を賭した行動は、国民との間に絶大な相互信頼があったからでしょう。
この王家の姿は、北欧各国に通じるものです。


下の写真:  陸軍博物館の横にあるノルウエー退役軍人協会の建物。
その前に止めてあるカーゴの絵は、ノルウエー軍のアフガンでの活動を示しているようです。


* あとがき

現在、北欧各国は中立政策を維持し、一方で紛争国の仲介外交と国連の平和維持軍派遣などで世界平和に貢献している。

北欧の中立政策は小国ゆえとヨーロッパの北辺にあることだけで成し得たのではない。
多くの大国に囲まれ、時には圧力に屈し、軍備を保有しながらも周辺国からの信頼を重視する外交は特筆に値する。

また北欧、特にノルウエーとスウェーデンは世界平和に貢献してきた。

両国は多くの内戦激しい地域、コソボやソマリア、アフガンなどに平和維持軍を派遣して来た。
スウェーデンの元外交官ハマーショルドは2代目国連事務総長を務め、コンゴ動乱の調停に活躍したが、その途上、原因不明の墜落事故で死去した。
またスウェーデンのストックホルム国際平和研究所はこの分野では有名です。

ノルウエーは中東和平で大きな足跡を残している。
敵対するイスラエルとPLOの仲立ちを行い1993年、オスロ合意を取り付けた。
しかし調印したイスラエル首相が同国の和平反対派によって暗殺され、画期的であったが結局、進展することはなかった。


次回に続きます。





ラベル:北欧 海外旅行
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2018年07月13日

北欧3ヵ国を訪ねて 12: 北欧の住まい 2

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< 1. オスロ、赤枠A >

今日はノルウェーとデンマークの住まいを紹介します。
そこから北欧の豊かな暮らしぶりが窺えます。


* オスロ



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< 2. 撮影位置を示す地図、上が北 >
 
写真は赤枠内か青線の車窓から撮ったものです。
上の地図: 撮影はオスロ中央駅からそれぞれ8km以内で行っています。

下の地図: 撮影は遠いところでコペンハーゲンから北と西に約各40km離れています。




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< 3.Sognsvann湖からの地下鉄から、青線B >

Sognsvann湖からオスロ中央駅までの地下鉄から見た住まい。
路線の半分ぐらいまではこのような緑豊かな住宅地が続きます。



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< 4.オスロ中央駅の近く >

上の写真: Sognsvann湖からの地下鉄から、オスロ中央駅の近く地下鉄が地下に潜る前に見えた高層アパート。青線B

下の写真: ビィグドイ地区に向かうバスに乗って、オスロ中心部の住宅街を通過中。赤枠C。


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< 5.ビィグドイ地区の高級住宅街、赤枠D >

斬新なデザインが目を惹いた。
さすが北欧デザインと思える建築が、伝統的な建築に調和して建てられているのを少なからず見た。



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< 6. 郊外の島Ormøyaの住宅、赤枠A >

オスロ中心部からUlvøya行きのバスに乗って、車窓から撮った。
これらは別荘のようにも見えるが、ここはオスロ中心部からのバスで8分ほどで来れるので、普通の住宅だと思われる。




* デンマーク


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< 7. ロスキレの住宅、赤枠E >

上の写真: ロスキレ湾沿いの対岸に見える住宅。
下の写真: ロスキレ湾の海岸からロスキレ駅に向かって少し進んだ所。


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< 8. 郊外の町の住宅 >

上の写真: ロスキレ大聖堂すぐ横の住宅。赤枠E.
右の高い建物がロスキレ大聖堂。

下の写真:  電車のLyngby駅の西側は直ぐ住宅街で、アパートが並ぶ。赤枠F.
駅の東側、反対側は表通りです。


 

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< 9. 野外博物館Frilandsmuseet周辺の住宅、赤枠F >

Lyngby駅から3km離れた野外博物館Frilandsmuseetに来ると、そこは緑豊かな住宅街でした。
この辺りは高級住宅街なのか、古い建物や広い敷地で木々に囲まれた住宅が多かった。





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< 10. 郊外と中心部の住宅 >

上の写真: Hillerød駅からヘルシンオア駅までの電車から。青線G。
この住宅エリアはヘルシンオア駅すぐ手前です。

下の写真: コペンハーゲン中央駅近くのアパート。赤枠H.
この建物の右半分が、今回私が泊まったホテルです。
このロ字型の建物の内側は広い庭になっており、この辺りのアパート(集合住宅)は同じような構造です。
この建物から500m以内に中央駅、チボリ公園、市役所、美術館があり、地価は高いはずですが高層の建物はない。
景観を守っているようです。


* 感想

まず驚いたことは、すべての住宅が新しいか、改修が行き届いているようで、スラム化したり、放置されているような住宅を一切見かけなかった。

私は、一応観光地ではあるが都市部から郊外まで北欧三ヵ国の様々な地域を見てまわった。
上記のことは北欧三ヵ国に共通しているようです。
いままで東欧、南欧、西欧を旅行し、バスや電車の車窓から郊外を見て来たが、北欧の郊外に低質か劣化した住宅や農家が無い国は初めてです。
北欧の首都もローマやリスボン、パリなどと比較して、建築群が古すぎて発展の足枷になっているようなことはなかった。
北欧は古い建築の完全復元にこだわっていないようで、再開発や増改築が進んでいるようです。


予想していなかったことなのですが、住宅に結構、多様性があった。

敷地の広い邸宅や斬新なデザインの高級住宅がある一方で郊外の駅近くには低層アパートがあることです。
これは住民の所得や所有資産に大きな開きがある表れなのでしょう。
けっして高福祉国家イコール画一的な暮らしではない。


また多くの住宅デザインに多様性があり、横並びではなく個性が主張されている。
また郊外では高い木立で住宅の敷地の境界を囲む傾向が強い。

これらの現象は北欧共通の国民性にあるのだろう。
多様性が目立つ、いま一つの理由は、これらの国の発展が主に戦後しばらくしてから起きた為に、新築が多いためだろう。


やはり日本との違いを大きく意識してしまう。
確かに北欧三ヵ国、そして首都の人口も日本の10分の1以下なのだが、それにしても都市部の住宅さえ自然に抱かれている。

一つには自転車で車の代替えを行っているように環境保全重視の姿勢がある。
今一つ見逃してはならないことは、日本のように会社勤めの疲れを癒すためのねぐらでしかない家ではなく、家族や友人と毎日を楽しく暮らすために北欧の家はあることです。

どちらが幸せな生き方かは一目瞭然です。
さらに北欧の方が所得は勝り、福祉も行き届いているのですから。

日本と北欧のこの違いは何に起因するのだろうか?


次回に続きます。



ラベル:海外旅行 北欧
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2018年07月09日

北欧3ヵ国を訪ねて 11: 北欧の住まい 1

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< 1.カールスタートの洒落た住まい >


これから2回に分けて北欧の住まいを紹介します。
そこから北欧のライフスタイルの一端が見えて来ます。
今回はスウェーデンを紹介します。




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< 2. 撮影位置の地図、 上が北 >

上の地図: 主にスウェーデンを示しています。
黒枠は下の地図の範囲で、ストックホルム市と周辺を示します。
青線がストックホルムからカールスタートまでの列車ルートです(おそらく)。
番号9の三枚の写真はこの列車の車窓から撮ったものです。

下の写真: 赤枠A、B、Cが撮影場所です。



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< 3. シグツーナと近郊、 赤枠A >

上の写真: シグツーナに向かうバスの車窓から。
森に囲まれた広い農地に数戸から十数戸が集合した住宅エリアが点在しています。
人々は、ここからバスでMärsta駅に出て、電車でストックホルム近郊に通勤が可能かもしれません。

下の写真: シグツーナの高台側の住宅。
ここらは別荘地なのか、広い敷地を持った邸宅が並んでいた。


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< 4. シグツーナの湖に面した住まい、赤枠A >

この家の右側の道路の隣には伝統的で洒落た感じのホテルがあります。
最高の立地の邸宅です。



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< 5. Älvsjö 駅の直ぐ北側の住宅地、赤枠B >

上の写真: ここはストックホルム中心部への通勤圏らしく低層のアパートが多く見られました。

このアパートのベランダが少し変わっていました。
ベランダはパイプで補強された簡易構造なのですが、大きく掃き出し窓からせり出しています。
そして、そこにはテーブルやチェアーが必ずと言っていいほど置かれていました。
ここで人々は緑が多い敷地で外の自然を楽しむのでしょう。
三人の人が来ている道を奥に進むと、直ぐに森が広がっていました。


下の写真: 直ぐ近くでは大規模な開発が進んでいました。
これはおそらく住宅だと思うのですが、左隣りは大きな学校がありました。





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< 6. Älvsjö 駅から東へ、赤枠B >

二枚の写真はÄlvsjö 駅からバスで墓地Sandsborg Cemeteryに行く途中の車窓からの写真です。

閑静な住宅街が広がっていました。
高木に囲まれた庭を持つ一戸建ての住宅が続いていました。
アパートがあっても、せいぜい数階建てが多い。
この住宅街を進んでいると、一度、一匹の鹿が横断して行くのが見られました。

これらの家は30数年前に訪れた時の住宅のイメージとは違うようです。
その時、11月はストックホルム北部(ウップサラ)の郊外は雪が積もっていました。
その郊外の家は木の温もりを感じさせ、伝統的で同じ色調のものが多く、また雪下ろしの為か急こう配の屋根が印象的でした。

シグツーナ郊外の家にはそんな雰囲気もありましたが、Älvsjö や都市近郊の家はデザイン、外壁、色調も様々です。
町並みを見ていると、朽ち果てた家は無く、改造されているのか一見する限りでは新しい建物のように見える。



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< 7.メーラレン湖の岸、赤枠C >

一見、これらは密集した別荘地帯かと思ったが、ここらからストックホルム中央駅まではトラムと地下鉄などで30分以内で行けるのです。

彼らの住まいは自然と一体、さらに最重要なことは家族との団らんのスペースであることなのです。
住まいには狭い庭であっても子供の遊具が置かれていたり、直ぐに水辺や林に行けることが重要なのでしょう。
そして通勤の便が良いことがこれに加わるのでしょう。
なにせ仕事が4時に終わって、直ぐに自然の中で家族と共に遊ぶのですから。




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< 8.ストックホルム中心部 >

当然、中心部に住む人もいます。





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< 9. 列車の窓から、一番上の地図の青線 >

車窓から眺めていると、多くは村ではなく数軒が集まった住宅エリアが森の中に点在しています。
農家は広大な敷地に一塊になって建っている。
おそらくは1家族のもでしょう。
時々、農家ではなく別荘風の家が森の中にポツンと点在している。

当然、駅に近づくと大きな街並みが見られます。
スウェーデンはやはり広大な原野や原生林が続く大地と言えます。
きっと土地の値段は安いはずです。


次回はオスロとデンマークの住まいを紹介します。 


ラベル:海外旅行 北欧
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2018年07月06日

北欧3ヵ国を訪ねて 10: 出会った素敵な人々 2

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今日も次回に続いて旅行中、親切にして下さった方々とのエピソードを紹介します。
北欧の人々の心の温かさに感動です。
また日本に好印象を抱いている人の多さに驚きです。


* オスロにて



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< 2. オスロで >

朝、オスロのナショナルテアトレット駅に入って行くと、早々にどちらに行くべきかわからなくなりました。
この駅は地下鉄と郊外電車が入っており、ちょうど通勤時間でもあり沢山の人が足早に通りり過ぎて行きます。
私が立ちすくんでいると、一人の中年女性が近寄って来て、どうしたんですかと聞いてくれました。
私が行先を伝えると、乗るべきホームへの行き方を教えてくれました。

お陰で、スムーズに予定通りの地下鉄に乗れました。


この地下鉄に乗っていると、乳母車を押した男性が私の向かいに座り、「あなたは日本人ですか?」聞いて来ました。
私がイエスと答えると、彼は親し気に喋り始めました。

彼は数年前、長男を連れて奥さんと日本を1ヵ月旅行し、京都観光や富士山登頂をしたそうです。
写真の子は次男のようです。
彼は日本旅行のことが懐かしく、色々と話をしたいようでした。
私も1984年の前回と今回の北欧旅行について話をしました。
彼は私に多くの質問して来たのですが、私が答えあぐねている間に、彼の降りる駅に来てしまった。
私は英語の未熟さに腹立たしくなり、申し訳ない気持ちで一杯になりました。

彼は別れる少し前に、「あなたの今日の日程はどうなっていますか?」と聞いて来たので、私の日程表を見せると驚いていました。
それもそのはずで、この日は30分から1時間刻みで12カ所を巡る予定だったからです。
彼はこれから私が行くSognsvann Lakeは良い所ですよ、また次に訪れるコペンハーゲンは素晴らしと言ってくれた。

今思えば、予定を変更して、彼ともっと話しをすれば良かったと後悔しています。

なぜ北欧の人は、こうも私を日本人だと分かり、日本に好印象を持っているのだろうか?
この謎は解けないまま帰国することになった。

ここでも日本との違いに気づかされることになった。
それは彼が平日の午前中にも関わらず育児をしていること、また家族で1ヵ月間も海外旅行していることです。
北欧では年間5週間の有給休暇を取らなければならず、この内4週間の連続休暇が許されるのです。
これが長期の旅行を可能にしているのです。

既に述べましたが、女性だけでなく男性も育児休暇を取らなければならず、男性の取得すべき日数は増える傾向にあります。
これらのことが、北欧諸国の出生率を高め、労働者の意欲向上に繋がっているのです。

日本にはこの発想が欠落しています。



* デンマークにて

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< 3. オスキレ駅のバス停にて >

バイキング博物館行きのバスが分からず、バスターミナルに座っている若い女性に聞きました。
彼女は答えることが出来なくて、横にいた高齢の男性が代わりに教えてくれました。
教えられたターミナル番号に行き、来たバスに乗り、運転手に確認すると大丈夫とのことでした。

運転手の近くに座りたかったのですが、空きが無かったので奥の方に座りました。
発車してから私は車窓の景色を追い、どこで降りるか迷っていました。
すると前の方の女性が降りる時、こちらを向いて笑顔で「バイキング博物館、次ですよ」と教えてくれました。

皆、実に温かく迎えてくれた人々でした。


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< 4.野外博物館とヒレロズ駅で >

広い野外博物館内を巡っていると、出なければならない予定時間が近づきました。
私は出口への道に確信が持てず、かなり疲れて来たこともあり、ちょうど博物館の高齢の職人が目に入り、出口を尋ねました。

二言三言言葉を交わす内に、またもや彼は「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。
わたしがそうですと答えると、「あなたはバスに乗るのですね?」と聞いて来たので、そうですと答えた。
すると彼はこちらに来なさいと言い、車両用のゲートまで一緒に行き、鍵を外しゲートを開けてくれました。
彼は終始笑顔でした。

そこから直ぐに広い道路に出て野外博物館前のバス停に迷わず辿りつくことが出来た。


ヒレロズ駅を降りて、フレデリクスボー城行きのバス停がわからず、近くを歩いている老齢の女性に尋ねました。
彼女は足腰が弱いにも関わらず、数十メートルを一緒に歩いてくれたが、結局わからないと残念そうに言った。
この時、運よく男性が通りがかり、彼女は彼に私を託して去りました。
彼はバスターミナルが見える所まで私を案内し、くどいほど302の番号を連呼し、私の理解を確認して去りました。
ここからバスに乗り、無事に目的地い着くことが出来ました。

旅行も2/3を終える頃には、私は迷う前に手当たり次第に誰かに聞くようになっていました。
私は図々しくなっている自分に驚きました。


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< 5. コペンハーゲンの王宮付近で >

上の写真は朝、クリスチャンスボー城の横の広場に行った時の事でした。
上の写真の広場で、骨董市が行われている予定でしたが、誰も居ません。

諦めて別の所に行こうとした時、一人の若い男性がわざわざ近づいて来て私に声をかけました。
私は不安になって無視して去ろうとしたのですが、彼は怪しいものではないと、申しわけなさそうに話しかけて来ました。
彼は私に手助けしたいと言っているようでした。

私は彼にここで骨董市があるはずだがと尋ねました。
すると彼はスマホを取り出し、調べて事情が分かったようでした。
彼は私に「あなたは英語が話せますか?」と聞き、私は「少し」と答えました。
彼は無い理由を説明したいようでしたが、私は聞くことを諦めました。

私は残念そうにしている彼に別れを告げて去りました。
他の観光を終えて、寄ってみると骨董市はやっていました。
始まる時間が異なっていたようです。
彼には悪いことをしてしまった。


下の写真は、王立図書館内のロビー付近です。
図書館に来れば、私のアンケートに答えてくれる人が居るかもしれないと思い訪れました。
すると喫茶の前に、二組の日本人の母子が座っていました。

話を聞くと、二人のお母さんは日本出身で、デンマークに来て暮らしているとの
ことでした。
二人からは貴重なデンマークの情報や感想を聞くことが出来ました。
後日、紹介します。


次回に続きます。






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2018年07月03日

北欧3ヵ国を訪ねて 9: 出会った素敵な人々 1

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*1


今日は、旅行中、親切にして下さった方々、またお話をした方々とのエピソードを紹介します。
北欧の人々の温かさに本当に感動しました。


* はじめに

今回、私は老人で一人旅、しかも未熟な英語で行ってきました。
ツアーに参加せず、すべての手配を自分で行ったのも初めてでした。
海外旅行の経験はあったものの、ほとんどが初めての事でした。

当然、不安で一杯でした。
ほとんど毎日のようにハップニングが起こる中で、必死に周辺の人に片言の英語で助言を求め、例外なく、すべての人が親切に教えて下さった。
そして毎日の観光予定地5〜8カ所のほとんどを訪問をすることが出来ました。

さらに北欧の人から私に声をかけて教えてくれたり、日本についてお話することもありました。
また時間が取れそうな場合、アンケートをお願いしたところ、声をかけた三人の人すべてが快諾してくれました。

今回の旅行はこれだけでも素晴らしいものでした。


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< 2. シグツーナ行きのバスで >

私はこのバス停から今回初めてトラベルカードを使うことになりました。
(トラベルカードはストックホルム市の公共交通機関が乗り放題になるパスで、期間限定で購入します。)
事前にトラベルカードの使い方は購入したストックホルム空港で聞いていたのですが、やはり不安でした。

待っていると目的のバス(バスのルート番号、行先が合致)が到着しました。
私は勇躍してバスに乗り込もうとすると、運転手が降りて来て私を制止しました。
私は立ちすくみました。

すると彼は運転手の交代だと行って笑みを浮かべました。
一緒に待っていたインドイラン系の青年が先にバスに乗り、運転席に座りました。
それに続いて私もバスに乗り込み、カードを読み取り機にタッチさせました。

そして私はこのバスがシグツーナに行くかどうかを運転手に尋ねました。
すると運転手は分からないと答えた。
私はバスを降りるべきか迷っていると、下の写真の男性がシグツーナに行くよと教えてくれました。

実は、迷っている時間があったのは、この運転手が新米らしく何分間もエンジンが掛からなかったからでした。
結局は、バスは動き、シグツーナに辿り着くことが出来ました。

今回の旅行は、このようなハプニングや触れ合い、助け舟で始まり、さらにこれ以上に驚くようなハプニングが毎日続くことになりました。



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< 3.ストックホルムの電車とホテルで >

ある電車に乗った時、珍しく座席の空きが少なかったので、男性一人が座っている4人掛けの席に座りました。
今まで、相席になることはないほど電車は空いており、また北欧の乗客は他人との接触を避ける傾向があるようです。
したがって私は馴れ馴れしくしないようにしていました。

すると南米からの移民に思えた彼は突如、にこやかに「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。
彼は日本が好きで、特に「さむらい」が好きだと言っていました。
幾らか話してから、私は彼に「スウェーデンには何年前に来たのですか?」と聞くと、彼はこの国で生まれたと言った。
私の早とちりを謝った。
彼はおそらく二十歳代前半なので、移民二世なのでしょう。
そういえば着こなしが垢抜けしていた。
その後、幾らか会話を続けましたが、私の英語力不足もあって、話は噛み合わないことがあった。
それでも彼は電車を降りる時、満足な顔をして去って行きました。

これがこの旅行で最初の日本贔屓の方との出会いでした。


3連泊したホテルのフロントにイランインド系の男性がいて、やさしいそうなのでインド人なら英語が出来ると思い、彼にアンケートの記入を依頼しました。
(アンケート結果は後日紹介します。)
彼は快諾してくれて、英語のアンケート文を読み、記入を始めた。
彼は最初「スウェーデン語」で書いても良いかと聞いてきたが、英語で書くことを望むと、そうしてくれた。
彼はシリアスな質問に真剣に答えてくれた。

出身を記入する段になって彼はインド人ではなく、イラン人だと言うことがわかりました。
彼は20年前にこの国に来た。
若い頃、柔道をやっており、山下泰裕を尊敬しているとのことでした。

ここでもまた日本贔屓の方にあった。



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< 4.ストックホルム中央駅周辺で >

私がユールゴーデン島行きのバス停を探している時でした。

初め、手当たり次第に二組の若い人に聞いたが、知らないのか、答えは得られなかった。
通りかかった高齢の女性に訪ねると、彼女は近くのバス停まで私と一緒に行ってくれてました。
彼女はそこが違うと分かるとまた戻り、少し離れた所にバス停があることを教えてくれて、途中まで一緒について来てくれました。

一人で、教えてくれた場所に行ってみると、道路は工事中でバス停は消えていました。
通りすがりの中年女性を見つけて、同じ質問をすると、彼女はバス停は無いので、中央駅の方に戻りなさいと、丁寧に教えてくれた。

この時の英語の説明が聞き取れなかったのか、大いに迷い、探し始めてから合計1時間ほど歩き回り、やっと駅前にある目的のバス停を見つけ、無事にバスに乗ることが出来た。
(交通機関の話は複雑なので、後にまとめて書きます。)

概ね、年配の人は片言の英語でも丁寧に対応してくれた。


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< 5. 空港で >

帰国時のことです。

ストックホルム空港で、北京行の飛行機に乗る為にゲートで待つことになりました。
わたしは最後のアンケート記入者を探しました。
優しそうな40代ぐらいの白人男性の横に座り、意を決してアンケートのお願いをしました。
すると彼は快諾してくれて英語で記入してくれました。
彼はスウェーデン人でした。
彼も非常に日本に好感を持っており、日本の良い所、自然、料理、酒などを連呼していました。
彼は私と話したいようでしたが、私は疲れと航空券のトラブルもあり、それ以上話をしませんでした。
(航空券のトラブルは後日紹介します)
無言が続いた後、彼は席を立って行きました。


私は英語が出来たらとつくづく後悔しました。


次回に続きます。





ラベル:北欧 海外旅行
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2018年06月30日

北欧3ヵ国を訪ねて 8: 憩い愉しむ人々

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< 1.コペンハーゲンの運河  >
2018/06/07 Thu. 17:16 撮影


今日は、北欧のライフスタイルの一端を垣間見ます。
そこから日本には無い生き方や働き方が見えて来ます。



* スウェーデン


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< 2. ストックホルム >

上の写真: ストックホルム大学の中庭。2018/06/01 Fri. 14:02 撮影。

大学の構内は非常に広く、このような広場はほんの一部にすぎない。
芝生に居るのは多くが若いグル―プでしたが、幼子を連れた父親もおり、様々な人々がここに来て、寛いでいるようです。

下の写真: 市内中央にある円形の広場Karlaplan。
2018/06/01 Fri. 16:55分 撮影。

老若男女のカップルや家族、または一人でベンチに腰かけていました。


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< 3. メーラレン湖 >

上の写真: ヨットを楽しむ家族。2018/06/03 Sun. 10:36 撮影。

大小様々なボートやカヌーも見ました。


下の写真: 湖水浴を楽しむ人々。2018/06/03 Sun. 12:09 撮影。

泳いでいる人もいたが、日光浴で肌を焼く人が多かったように思う。



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< 4. カールスタート >

上の写真: 河畔の広場で寛ぐ人々。2018/06/04 Mon. 16:45 撮影。


下の写真: 日光浴を楽しむ若い人々。2018/06/04 Mon. 17:13 撮影。

私がここに立っていると、若い女性グループが川にせり出した奥のテラスに行き、やおら服を脱ぎだした。
そしてビキニ姿になり日光浴を始めた。


皆さん! 撮影の時間を見て頂きたい。
この光景は平日の午後4時を過ぎたばかりなのです。
私がカールスタート駅を降りて町に出たのは午後4時半でした。
しかし町の至る所に市民が溢れ、公園や河畔で市民は寛いでいた。
つまり、4時になると市民は仕事を止め、皆が生活をエンジョイしているのです。
実は、私が34年前に北欧の企業視察を行った時も、5時になると社員たちは突然退社を始めたのです。
この光景が、目の前で再現されており、さらに1時間早いのです。

今回の旅行で、この光景は北欧三ヵ国に共通していることがわかりました。
現在、北欧では週33時間労働を目指しています。
つまり週休二日として9時出勤16時退社なのでしょう。
したがって朝8時台、ジョギングやサイクリングに汗を流している人が居ることは何ら不思議ではなかった。

翻って日本はどうでしょうか?



* ノルウェー、オスロ


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< 5. 湖Sognsvann >

上の写真: 自転車で訪れた人。2018/06/05 Tue. 8:41 撮影。


下の写真: 湖畔をジョギングする人。2018/06/05 Tue. 8:41 撮影。

朝、湖に着いた時は非常に寒かった。
訪れたオスロでは、昼には20℃を越えるのですが、朝は5℃以下だったと思います。
冬、ここは雪に覆われ、クロスカントリースキー絶好の地になるのでしょう。



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< 6. 郊外の島Ulvøyaに掛かる橋 >

上の写真: オスロ中心部から5kmほど湾に沿って南下した所にある島Ulvøyaに掛かる橋。
2018/06/05 Tue. 15:05 撮影。

下の写真: 橋の上からダイビングを楽しむ若者達。
2018/06/05 Tue. 15:06 撮影。

ここでも不思議に思ったのが、「彼らは平日のこの時間になぜここに居られるのか?」と言うことでした。


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< 7. オペラハウスの前 >

ギラギラ照りつける陽射しの中で寛ぐ人々。2018/06/05 Tue. 15:44 撮影。

湿気が少ないとはいえ、風が無いこの暑さの中、長く座っていることは私には辛い。
しかし、彼女らは太陽の陽射しを歓迎している。



* デンマーク


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< 8. ロスキレ >

上の写真: 市立公園。2018/06/07 Thu. 13:17 撮影。

なぜ学生たちがこの時間に公園で遊んでいるのだろうか?
自然の中で過ごすことが学習課題なのだろうか?


下の写真: 大聖堂前の広場で寛ぐ市民。
2018/06/07 Thu. 13:44 撮影。

団体や観光バスを見かけなかったので、周辺からの訪問者、そしてほとんどが町の人だろう。
北欧三ヵ国で、首都から離れた町を観光していてると、このような光景をよく見た。
様々な町の広場では、市民は平日の午前午後にもかかわらず、このように寛いでいた。



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< 9. コペンハーゲン、運河クルーズにて >

上の写真: 日光浴を楽しむ人々。2018/06/07 Thu. 16:39 撮影。


下の写真: 運河で泳ぐ子供達。2018/06/07 Thu. 16:42 撮影。


北欧の人々はなぜこうも太陽の陽射しを求めるのだろうか?

北欧の冬、例えばストックホルムの12月で太陽は9時頃に昇り15時頃には沈む。
さらに冬の間、ヨーロッパも含め、空は厚い雲で覆われ続けている。
酷い時は、ストックホルムの最低日照時間は一月十数時間ということもある。
私がかつて11月末に北欧を訪れた時、1週間ぶりに雲間から太陽が覗いた時、ツアー仲間は歓喜の声を上げた。

北欧にとって6〜8月の陽射しは自然の最高の贈り物なのでしょう。



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< 10. コペンハーゲン、ヘルシンオア >

上の写真: コペンハーゲン、ノアポート駅Nørreport St近くにある植物園。
2018/06/09 Sat. 15:13 撮影。

この辺りは王宮、美術館、博物館が多く、コペンハーゲン発祥の地ですが、緑溢れる公園も多い。
多くの人が公園の芝生に座り寛いでいた。


下の写真: ヘルシンオアの街。2018/06/08 Fri. 16:35 撮影。

クロンボー城への観光客は通常、この町中を通らず、港沿いに駅舎間を往復するだけのようです。
したがって町は静かで、市民が寛ぐ午後のひと時になっていた。


* あとがき

皆さんに一番知って頂きたい事は、北欧の人々は労働時間がかくも短く、家族や恋人、友達と日々エンジョイしていることです。
かつ、北欧五ヶ国の国民所得、産業の国際競争力、人間開発指数のランキングは世界でほとんどが上位10番以内、それもトップに並ぶのです。

先ずは世界にこのような国があり、自らこの道を切り開いて来たことを知って頂きたい。
この経緯や成功の要因を追い追い説明していくつもりです。


次回に続きます。






ラベル:北欧
posted by 学 at 11:25| 兵庫 ☔| Comment(0) | 連載 北欧3ヵ国を訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

北欧3ヵ国を訪ねて 7: 行き交う人々

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< 1.ストックホルム中央駅 >
コンコースの地下1階から地上1階を見上げた。


今日は、北欧の街を行き交う人々の姿を通して北欧の今を紹介します。
そこには新鮮な驚きが幾つもありました。


*スウェーデン



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< 2. ストックホルム >

上の写真: ストックホルム大学前の地下鉄駅Universitetet。
2018/06/01, Fri. 12:40 撮影。
彼らは隣の自然史博物館museum of natural historyを見学した学生かもしれません。

下の写真: Styrmansgatan通りをユールゴーデン島に渡る橋の方に向かって歩く人々。
2018/06/02, Sat. 13:11 撮影。

両日のストックホルムの最高気温は26と29℃で暑かったが、湿度が低いのかあまり苦にならなかった。
私は長袖を着ていましたが、半袖が主流でした。


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< 3.Älvsjö駅、ストックホルム >

上の写真: 朝、駅横のバスターミナルでバスを待つ人々。
2018/06/03, Sun. 7:03 撮影。
実に多種多様な人種の女性が共にバスを待っています。

この光景が今の北欧を最もよく象徴していると思います。
私は34年前に北欧を訪れているのですが、最初に郊外のMärsta駅に着いた時、ある変化に驚きました。
それは都市部への出勤の為に駅に向かう人々の多種多様な人種構成でした。
かって白人以外はホテルのウェイターやボーイだけだったと記憶しています。
今や移民は郊外の町ÄlvsjöやMärstaでは普通に見かけます。

下の写真: ストックホルム中心街をHOP-ON, HOP-OFFバスで巡っている。
2018/06/03, Sun. 14:43 撮影。


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< 4. Älvsjö、カールスタート >

上の写真:  朝、Älvsjöの町を散策。
2018/06/04, Mon. 7:13 撮影。

下の写真: カールスタートの街を散策。
2018/06/04, Mon. 17:03 撮影。

もう一つ、前回の訪問と比べて大きく異なっていたことがありました。
それは疾走する自転車です。
至る所、歩道より自転車道の方が広く、かつよく整備されており、逆に歩行者より自転車の方が優先されているように感じた。
自転車利用はエコと健康を重視した表れだと思います。

しかし旅行客はくれぐれも自転車道の自転車に気をつけて下さい。
自転車より自動車の方が歩行者には優しいように思います。
この光景はデンマークでより多くなります。
かってはなかった光景です。



*ノルウェー、オスロ



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< 5.オスロ >

上の写真: 朝の地下鉄駅Nationaltheatret stasjonの前。
2018/06/05, Tue. 7:58 撮影。

下の写真: オスロ中央駅前のバスタ―ミナル。
2018/06/05, Tue. 9:38 撮影。

都市部や郊外の観光地を観光している時、行き交う人々や旅行客は白人が多かった。
しかしほとんどの有名な観光地では中国系(大陸、台湾、香港)の団体を必ず見た。
アジア系の団体観光客では稀に韓国、タイ?、インド、日本を見かけた。
残念に思ったのは、アジア系で個人や数人のグループで旅行している人々は圧倒的に日本人以外だったことです。
ここでも中国系か東南アジア系が多い。

コペンハーゲンのホテルで旅行中の二人の日本女性を見て、少しほっとした。







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< 6.オスロ湾周辺 >

上の写真: 市庁舎広場。
2018/06/05, Tue. 9:38 撮影。

下の写真: 都市開発中のオペラハウス東側のウオーターフロント。
工事現場の外を、男性が赤ちゃんを乗せた乳母車を押していた。
2018/06/05, Tue. 14:42 撮影。

実はこの1枚の写真は、北欧の暮らしのある状況をよく象徴しています。
それはイクメン(子育てする男性)です。
北欧を旅していると、1才ぐらいまでの赤ちゃんを乗せた乳母車を押している男性が非常に多く、見かけたのは女性と同数ぐらいだったと思う。
これは北欧の育児休業制度が整っており、おそらくは男性と女性がほぼ同じように1年ほどの育児休暇を取っている現れでしょう。
さらにそれは移民にも波及しているのでしょう。



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< 7. オペラハウス、国立劇場 >

上の写真: オペラハウスの横。
2018/06/05, Tue. 15:37 撮影。
この写真の前面の男女二人はスマホを操作中です。

これも驚いたことの一つなのですが、北欧の人々にとってスマホは不可欠な物になっていたことです。
電車内では、少しでも時間があれば隣同士で話をしている以外は各自スマホでネットサーフィン、メールチェックやミュージックに没頭している。
本を読んだり、ボーと孤独に浸っている人はほとんどいない。

下の写真: 国立劇場前の広場。
2018/06/05, Tue. 16:15 撮影。

写真の左奥に右手に紙コップ、白い帽子を被った老人が立っているが、彼は物乞いです。
私は北欧は高福祉国家だから物乞いがいないと思っていましたので、また驚きました。
数は少ないのですが、見かけたのは白人以外だったように思う。
特に、オスロが多かったように思います。



*デンマーク、コペンハーゲン



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< 8.コペンハーゲン >

上の写真: 観光客で賑わうストロイエ通り。
2018/06/07, Thu. 17:40 撮影。

下の写真: 地下鉄駅Christianshavnの前の通り。
2018/06/07, Thu. 18:28 撮影。

ヘッドホンをした人が自転車に乗っていますが、最初ストックホルムの街中を歩いている時、驚きました。
歩いていると、大きな声で喋りながら、後ろから自転車で疾走して行く人がいました。
彼の耳にはマイクが一体になったイヤホンがありました。
結構、自転車に乗りながらボリュームを上げて音楽を聴く人や喋り続けている人が多かった。

当然、このような電車や自転車のスマホの使用はかつては無かった。
このスマホ漬けの状態は一種のブームか、または北欧の他人と距離を置く心性と合致しているのかもしれません。



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< 9. 朝のコペンハーゲン中央駅、Lyngby駅 >

上の写真: 朝のコペンハーゲン中央駅のホーム。
2018/06/08, Fri. 7:48 撮影。

下の写真: 朝の郊外のLyngby駅。
2018/06/08, Fri. 8:49 撮影。


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< 10. 地下鉄内、トーベヘルネ >

上の写真: 地下鉄内。
2018/06/09, Sat. 12:55 撮影。
北欧では、自転車やペットを電車に持ち込むのは当たり前のようです。

下の写真: イスラエル広場にある屋内型の食品マーケットやレストラン街。
2018/06/09, Sat. 13:05 撮影。


*感じたこと
北欧が変化し、多様化し、成長していることを知った。
移民の多さ、スマホや自転車の普及が著しい。
スマホは購入時のキャッシュレス化や列車のeチケットとして使用され、IT化が進み、サービス産業の合理化に貢献している。
またイクメンの多さを見て、育児休業制度の普及を実感した。

34年前に北欧に来た時、北欧美人にうっとりし、今回楽しみにしていたのですが、当てが外れました。
スタイルの良い美人を見かけることはあるのですが、実に様々な容姿があり、どれが各国の典型的な美人なのかがわからなくなりました。
あまりにも人種が多様で、白人に限っても異なる容姿が北欧人、スラブ、ゲルマン、サーミ(北方遊牧民族)によるものかわからない。

ここまで人種の混合が進むと、例えば容姿でデンマーク人を規定出来なくなる。
それがこれからの国家の有り様なのかもしれない。


次回に続きます。

ラベル:北欧
posted by 学 at 19:38| 兵庫 ☁| Comment(0) | 連載 北欧3ヵ国を訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

北欧3ヵ国を訪ねて 6: 北欧郊外の駅舎

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< 1. Hillerød駅、デンマーク >

今日は、北欧の地方や郊外の駅舎を紹介します。
郊外の電車や地下鉄の駅などです。
日本とはかなり異なった雰囲気があります。


* スウェーデン


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< 2. Märsta駅 >

この駅は人口3万人ほどの町Märstaにあります。
ここを鉄道で北上すれば大聖堂の有るUppsala、南下すればストックホルムを過ぎて、南部の海岸線の港Nynäshamnまで行くことが出来ます。
バスで行くと、直ぐ東にはストックホルム・アーランダ空港があり、また西に行くとシグツーナがあります。
ストックホルム中央駅まで通勤電車(ほぼ各停)で約40分かかります。
この町はストックホルム首都圏の陸側(ほぼ西側)の端にあたり、住宅地域として発展しているようです。

実は写真の建物は駅舎と言うよりコンビニで、駅の機能はホームにあります。


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< 3.Älvsjö 駅 >

この駅はストックホルム市南部のÄlvsjöにあります。
人口の多いストックホルム市にあって、この町は人口密度が低く、緑の多い住宅地域として発展している。
ここには電車でストックホルム中央駅から3駅、およそ9分で来れます。
この駅を通過して南部や西部の国内に行くことが出来ます。

上の写真の駅舎はモダンで大きい。
この駅の南側(反対側)には、大きな見本市会場や大手スーパーWillys、ホテルなどがあります。
私の泊まったホテルは駅の北側直ぐにあり、交通の便が良く助かった。


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< 4. Sandsborg駅 >

この駅はストックホルムの南側にあり、ストックホルム中心部(T-Centralen)に通じる地下鉄の駅で、墓地Sandsborg Cemeteryの北の端にあります。
地下鉄と言っても、地下に潜るのはストックホルム中心部だけのようです。
この墓地の直ぐ南隣に世界遺産の「森の墓地」スクーグシェルコゴーデンSkogskyrkogårdenがあります。


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< 5. Karlstad 駅、カールスタート >

私はオスロ―に行く途中どこか地方都市に立ち寄りたいと思い、たまたまこの駅で2時間半ほどの乗り継ぎ時間を利用して街歩きを楽しむ予定でした。
上の写真の駅舎は大きくなく、下の写真のように長い一本のホームだけだが、いくつもの線路があり、数台の列車が待機していた。

この駅はノルウェーに接する州の州都カールスタート(人口6万)にあります。
この町はスウェーデン最大の湖Vänernに流れ込む川のデルタ地帯にあります。
美しい所だが海外からの観光客は少ないようです。


* ノルウェー

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< 6.Sognsvann駅 >

これは地下鉄の駅でオスロ中心部から北に延びる路線の端にあり、Jernbanetorget [T-bane] 駅から20分で行くことが出来る。
降りると、そこには大自然に囲まれた湖Sognsvannが待っていました。
オスロは小さいながらも地下鉄網は四方に延びています。

ノルウェーの駅舎は、他の二ヵ国と切符のシステムが違うこともあり、最もオープンな感じがします。
オスロパス(入場、交通機関フリー)を持っている者にとっては、駅は自由に出入り出来るが、素っ気ないとも言えます。


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< 7.Borgen駅 >

これも地下鉄駅で、上記の路線とは別で西に延びている。
この駅から東南に進むと、大きな墓苑Vestre gravlundを抜け、彫刻群で有名なヴィ−ゲラン公園に達する。
この路線はこの駅付近だけ地上に出るようです。
この公園の入口、東側には路面電車やバスの停留所が幾つかあります。


*デンマーク

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< 8. Roskilde駅、ロスキル >

この駅はコペンハーゲンの西方にあり、電車で20数分の所にあります。
ここはデンマーク最古の町の一つで、世界遺産の大聖堂があります。
この人口5万の町はロスキレ・フィヨルドの最奥にあり緑が多く風光明媚な所です。



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< 9. Lyngby駅 >

ここは野外博物館Frilandsmuseetを訪れる為に降りた駅です。
ここはコペンハーゲンから北に電車で20数分の所にあります。
私が降りた時間帯、朝8時台には都心からの通勤客が多数いました。
郊外の住宅街でもあり、勤務地でもあるようです。


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< 10. Helsingør駅、ヘルシンオア >

ここはデンマーク最大のシェラン島の北東端の人口4万弱の町にあります。
ここは鉄道の終点で、この町はエーレスンド海峡に面しています。
コペンハーゲン中央駅からここまで電車で50分弱かかります。
駅舎と言い、古い町並みが残り、また海峡に面してクロンボー城が建っている趣のある町でした。

同じ北欧でも、交通機関の切符のシステムの違いにより、駅の雰囲気や電車内部のデザインには違いがあります。


次回に続きます。

ラベル:海外旅行 北欧
posted by 学 at 05:51| 兵庫 ☁| Comment(0) | 連載 北欧3ヵ国を訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

北欧3ヵ国を訪ねて 5: ヴァイキングの故地

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今日は、ヴァイキングの三つの故地を簡単に紹介します。
ヴァイキングは今回訪れた北欧三国から誕生しました。
それぞれ趣が異なりますが、海岸や湖岸から生まれたことでは共通しています。



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< 2. ヴァイキングの航路 >

赤丸が今回訪れた場所で、ここにはヴァイキングの有名な遺跡があります。

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< 3. スウェーデン >

私が訪れたのは赤丸印のシグツーナSigtunaです。
ここはヴァイキング時代末期に栄えました。
実は、赤三角印のビルカBirkaの方がヴァイキングの遺跡としては有名なのですが、旅程の都合で省きました。

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。
スウェーデンの主なヴァイキングはこのメラーレン湖からバルト海を主に東方のロシアに向かい果ては黒海を抜け、イスラム圏と交易を行いました。


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< 4. シグツーナのルーン石碑 >

上の写真: ルーン石碑。
ヴァイキング時代の8〜11世紀に良く作られた石碑の一つで、墓碑や旅に出た個人を讃える文などが刻まれていることが多い。
スカンディナヴィアの人々は、このような碑文以外に文字を残さなかったので中世以前の歴史は口述の神話に頼らざるを得ない。


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< 5、 シグツーナの湖岸の港 >

かつてはここからヴァイキングが船出していったのだろう。



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< 6. ノルウエー >

私が訪れたのはオスロのビィグドイ地区にあるヴァイキング船博物館です。
この博物館には発掘された2艘のヴァイキング船があります。
このヴァイキング船が発掘された場所を赤丸で示しています。

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。
彼らは北海を抜け主に西方に進み、英国に侵入し果ては北米大陸に達していました。

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< 7. ヴァイキング船博物館 >

上の写真: 発掘された9世紀初頭のバイキング船。
この非常に大きな船を見ると、ノルウエーのヴァイキングが荒波を乗り越え、遠洋航海を成せたことがよく理解出来ます。

下の写真: 地図の黒三角印辺りのフェリーから後部(北側)を見ている。
おそらく左側の島嶼部がヴァイキングの故地(発掘地)なのでしょう。



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< 8. デンマーク >

私が訪れたのはロスキレのヴァイキング船博物館です。
この博物館には発掘された数艘のヴァイキング船があります。
このヴァイキング船はロスキレの湾から発見されました。

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。
デンマークのヴァイキングの有名な遺跡は他にユラン半島に2ヵ所ありますが、今回は遠かったので行っていません。
デンマークのヴァイキングは北海から英国、またフランスの海岸や河川から大陸に侵入しました。

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< 9. ロスキレのヴァイキング船博物館周辺 >

上の写真: ヴァイキング船の造船技術が使われた船が数多く停留されていた。

下の写真: ロスキレ湾。
かつてこの地にはヴァイキングの村があり、彼らは春になるとここから出撃していった。


いずれ博物館を詳しく紹介します。


次回に続きます。

ラベル:海外旅行
posted by 学 at 10:39| 兵庫 ☀| Comment(0) | 連載 北欧3ヵ国を訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする