2018年09月20日

北欧3ヵ国を訪ねて 27: ハプニング

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今回は、最初に経験した大きなハプニングを紹介します。
実は大きなイベントがあることを知らずに、予想外に歩く羽目になってしまったのです。
疲れたが楽しい経験でした。





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< 2. 徒歩ルート、上が北 >

上の衛星写真: 右のS点から歩き始めて、E点までを今回紹介します。

下の地図: 上の写真とほぼ同じ範囲です。
右(スカンセン前のトラム駅)から左(ガムラスタンの王宮)まで点線に沿って歩きました。
距離は3.2kmです。
紹介する写真は2018年6月2日(土)12:40〜14:30の撮影です。



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< 3. ハプニングの兆し >

上の写真: スカンセンを出て、通りにある駅(写真)のベンチでトラムを待ちました。
そしてガムラスタンの近くまでトラムで行き、ストックホルム・パノラマ(1時間ほどの市内巡りの観光バス)に乗るつもりでした。
駅のブースでは私以外に2組の海外旅行客が待っていました。
15分ほど待ったのですが、まったくトラムが来ません。
本来は10分以内の間隔で来るはずでした。

確かに、写真のように赤白のテープが車道に張り巡らされおり、何かが起きていました。
しかしブース内の展示物を見たのですが、英語表記で時刻表の変更やトラブルの有無を確認できませんでした。
もっとも、スウェーデン語の掲示ならわかりませんが。

諦めてガムラスタン近くまで歩く決意をし、去りかけてブースの外側上部を見ると、次のトラム到着は18時台を示す液晶表示が見えました(涙目)。
途中、通行中の市民に聞いてみると「今日はマラソンがある」とのことでした。

結局、この日はアシクッス主催のストックホルム・マラソンがあり、12時から18時まで、私が行きたい所はすべての交通がストップになったのです。
不幸なことに、地図の青の点線はマラソンコースとほとんど一致していた。


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< 4. マラソン 1>

諦めて、のんびり歩くことにしました。

下の写真: この半時間ほどで道路沿いにたくさんの市民が集まって来ました。
この走者達は、スカンセンの前で折り返して来た先頭集団です。


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< 5.マラソン 2 >

上の写真: ガムラスタン側を望む。

下の写真: 手前は折り返して来た走者、向こう側はこれから折り返し点に向かう走者らです。


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< 6. マラソン 3 >

下の写真: 中央の建物が王立劇場です。


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< 7. マラソン 4 >

上の写真: 曲がり角にある、木々が配されたベルツェリー公園に沿って歩く。
ここから多くの観光ボートが入出航していました。
遠くに、北方民族博物館とヴァーサ号博物館の建物が見えます。

下の写真: これは海軍の船のようです。


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< 8. マラソン 5 >

やっとガムラスタンの王宮が真正面に見えて来た。
これから右に曲がり、ストックホルム・パノラマの受付ブースに向かいます。


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< 9. マラソン 6 >

上の写真: この桟橋からも観光ボートが出ており、その向こうにチケットブースが見える。

ストックホルム・パノラマ(バス)の乗り場は、少し離れた Gustav Adolfs Torg(広場)からなのですが、このチケットブースでストックホルムパスを見せて、無料チケットを貰う予定でした。
はぼ諦めていたのですが、一縷の望みを託して、窓口で運航状況を聞きました。
すると「マラソンがあるので今日はバス運行はありません」と、あっさり言われた。
しかたなく予定を変更して、ガムラスタンまで歩くことにした。

今日はストックホルム・シティを8:30に出てから歩き詰めで、まだ歩かなければならない。


下の写真: ガムラスタンに掛かる橋を行く走者達。

近くで見ていると、疲れて素顔を見せる走者らに親しみを感じた。





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< 10. マラソン 7 >

ガムラスタン島に入りました。
右手が王宮です。



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< 11. 王宮横の坂 >


次回に続きます。


ラベル:北欧 海外旅行
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2018年09月17日

沼島を訪ねて 4

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今回で、沼島の紹介は終わります。
峰伝いの小道、沼島八十八ヵ所霊場巡りから海水浴場までを行きました。



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< 2. 散策マップ、上が北 >

今回紹介するのは黄線と茶色線です。
黄線は沼島八十八ヵ所霊場巡りの約半分にあたります。
左側の赤丸はおのころ神社です。
茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。


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< 3. お地蔵様 >

この八十八ヵ所霊場巡りの小路の両側には、なんと88の地蔵様が祀らています。
里から離れたわざわざ峰伝い、かくも不便なところに多くの地蔵様があります。

これは明治時代、戦争や伝染病で多くの人が亡くなり、その慰霊の為に
祀られたのだそうです。
鎮魂の為の霊場巡りなら、こここそ最適だったのでしょう。


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< 4. 上立神岩 >

小路を行くと、見晴らしの良い所からこのような絶景を眺め、また爽やかな潮風を受けることが出来ます。


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< 5. 小路 >

見晴らしの良い所もあれば、生い茂る木々が日陰になってくれるところもあります。
ほとんど人が通った形跡はありませんが、道はあります。


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< 6. 森林浴 >



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< 7. 分岐点を右へ >

途中、右は「おのころ神社まで0.5km」と書かれた看板がありました(上の写真)。
それで右に折れ、さらに鬱蒼とした森の中へ入って行きました。
少し不安はありましたが、小路が微かに見え、方向的にも正しそうなので、行きました。


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< 8. 小路を下る >

小路には枯葉が積もっているのですが、雑草が少なく、歩きやすい道でした。


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< 9. おのころ神社(自凝神社) >

ここには神殿と二神の像があります。
二神の像は伊弉諾尊と伊弉冊尊で、国生み神話の中で伊弉諾尊が天沼矛を使うシーンを表しています。
神殿は出来て百年も経っていないのですが、この山は御神体山であり18世紀末に小祠を建て、村人が祭礼を行って来た。

この階段は急で長いのですが、下る方だったので助かりました。
眼下に港が見えます。


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< 10. 沼島海水浴場 1 >

神社の階段をさらに下り、海岸沿いの道に出て、左に曲がると、海水浴場の賑わう声が聞こえてきた。


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< 11. 沼島海水浴場 2 >

この海水浴場には、脱衣所、トイレ、シャワーがあり、監視員も居ました。


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< 12. 店と手押し車 >

上の写真: 昼食をとった海鮮漁師料理「水軍」の店内。
海岸沿いの道から見える飲食店はこれを含めて2軒だったと思います。
少し中に入れば他の店や、鱧料理を出す民宿もあります。

この店は味はともかく、手ごろな値段で多彩な海鮮料理を出してくれるようです。
手軽に立ち寄れるので良いと思います。

下の写真: 沼島特有の手押し車。


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高速艇に乗って、帰路につきます。
高速艇で沼島に到着してから4時間が経ちました。


* 感想

8月18日、天気が良かったので急にドライブしたくなり、妻が沼島に行きたいと言い出しました。
私たちは淡路島に40年以上も居ながら、一度も行ったことがありませんでした。

私ははじめ、沼島は小さく魚釣りと鱧料理と上立神岩だけの島と思っていたのですが、なかなか歴史ロマンを秘めた島でした。
私にとっては特に海人族の痕跡とルーツが魅力でした。

また適度に散策が楽しめ、海水浴や、そして海鮮料理も楽しめます。
そして観光化されていないところが良い。


これで終わります。


ラベル:自然 写真
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2018年09月16日

北欧3ヵ国を訪ねて 26: スカンセン(野外博物館) 2

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今回で、スカンセンの紹介を終わります。
写真は2018年6月2日(土)、12時から12時半までの撮影です。



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< 2. スカンセンの地図、上が北 >

青線が今回紹介する徒歩ルートで、Sがスタート、Eが終わりを示します。

私は1時間かけて見て歩いたのですが、観光時間は、じっくり伝統文化を知ろうとするなら2〜3時間、また動物園や遊戯施設もありますので子供らと家族で楽しもうとするなら半日以上が必要でしょう。


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下の写真: 鱗状の木の板を重ねた外壁。
フランスのストラスブールで民家の屋根に鱗状瓦を見たのですが、このようなものは初めてです。

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上の写真: 孔雀がのんびり散歩しており、怖がる様子はありませんでした。


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上の写真: 子供向けの催し。
多くの家族が参加していました。

下の写真: 18世紀の木造の教会。
これはスウェーデン南部のVästergötland地方、大きな湖のある地域に建てられていたものです。
No4の下の写真は、この教会を裏側から撮ったものです。


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< 8. 風車小屋 >


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上の写真: 18世紀の農家兼邸宅です。
左右に納屋のようなものがあり、工具、蹄鉄、鍬などが制作されていた。
建てられていたのはストックホルムから西に200kmほど行ったNärke地方です。
この地域は先ほどのVästergötland地方の北東で接しています。

このスカンセンは主に古い農家や街の家、教会などを移築し、庶民の暮らしがわかるようにしているのですが、この邸宅だけは別格で大きい。


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< 10.展望広場から  >

南側の対岸、セーデルマルム島を見ています。
現在、この地域が住宅地、観光地として発展しているようです。

下の写真: 手前にスカンセンの直ぐ下にあるチボリ公園が見えています。
この日は土曜日なので、このユールゴーデン島は人出が多かった。


* 感想
古民家を見て、スウェーデンの18世紀はあまり豊かではない印象を受けた。
そうは言っても、日本の江戸時代末期と同時代なのですから、遜色はないのかもしれません。

豊かな木材資源を使って太い木材が大量に使用されている一方で、構造材としての石材や壁材としての粘土の使用が見られなかった。
これは北欧の厳しい自然、貧しい土壌、乏しい資源を象徴しているようでした。
もっとも人口密度が低いので暖房用の薪は充分に入手出来た。

北欧を旅行して感じたのは、他の地域に比べ、民族舞踊や歌唱などの伝統文化を売りにした観光が見当たらないことです。
四季折々の祭典やヴァイキング村の再現はあるのですが、ポルトガルのファドやスペインのフラメンコのようなものが無い。

多くの外国人は美しい自然と整った街並みを楽しみに、この北欧を訪れる。
そこで観光資源として伝統の歌舞演劇などをもっと押し出しても良いと思うのだが。
結構、古い歴史と文化があるはずなのに不思議です。

そのような中で、19世紀の終わりにこのような伝統文化として民家を残し得たのは非常に良かったと思います。
これは国民の為なのでしょうが。


次回に続きます。






ラベル:海外旅行 北欧
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2018年09月11日

沼島を訪ねて 3

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今回は、沼島一番の観光名所、上立神岩への道を紹介します。
この岩は国生み神話と深く結びついています。



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< 2. 散策マップ、上が北 >

赤線が前回紹介した沼島庭園から上立神岩までの道です。
右側二つの赤丸が上立神岩を見るポイントです。
黄色矢印の上側は上立神岩で、下側は平バエ(岩礁)です。
ピンク線と黄線は沼島八十八霊場巡りの一部で、今回歩いた道です。

今回紹介するのは赤線とピンク線です。
左側の赤丸はおのころ神社です。
茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。


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< 3. 谷間の一本道を行く >

正面と左側に見えるのは沼島中学校と小学校です。
道に沿って小川があり、その流れは奥の池から始まっていました。


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< 4. 沼島緑地おのころ公園 >

ここに池があります。
この辺りはちょうど二つの山が寄り添い、その間の一本道が反対側の海岸にある上立神岩まで導いてくれます。


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< 5. 上立神岩の見晴台 >

上の写真: 今、登って来た1本道を振り返った。

下の写真: 見晴台。
左に延びる小道をさらに上ると上立神岩を見下ろす別の見晴台に行けます。
それが次の上の写真です。


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< 6. 上立神岩と下り坂 >

下の写真: 見晴台を最高地点にして、後は急な坂を海岸まで下って行きます。
遠くの海上に平たい岩礁が小さく見えます。
これが平バエです。


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< 7. 険しい海岸 >


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< 8. 降りた海岸線から >

上立神岩は高さ30mあり、国生み神話の大地を掻き混ぜた天沼矛(あめのぬぼこ)や天の御柱とも見立てられている。

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< 9. 沼島八十八霊場巡り 1 >

先ほどの見晴台までの一本道を少し戻り、枝分かれした道を左に入ると、山の稜線を進むことになります。
これが沼島八十八霊場巡りの道です。

上の写真: あまり人が通らない道のようです。
始めは鬱蒼とした森の中の坂道を上ることになりました。

下の写真: 道沿いにあずまやが造られています。
休憩は出来ますが、木立が延びて見晴らしはあまり良くなかった。


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< 10. 沼島八十八霊場巡り 2 >

このような見晴らしの良い道もありますが、繁茂した木々が両側から覆いかぶさるようなところもあります。
この道で人に出くわすことはなかった。

下の写真: 遠くの山影は紀伊半島でしょうか。


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< 11. 眼下に平バエが見える >

この平らな岩礁の平バエで毎年、旧暦の3月3日に沼島の漁船が大漁旗を立てて終結する平バエ祭りがあります。
海上安全と大漁を祈願する祭りです。

下の写真: 平バエ祭りの様子。
写真左隅に上立神岩が見えます。
http://nushima-yoshijin.jp/festivalから借用しました。


* 上立神岩と平バエについて

古事記に
「イザナギとイザナミは天の浮橋から矛を降ろして地を求めた。 」
・・・
「イザナギとイザナミはそのオノコロ島に降り立って、大きな神殿(八尋殿ヤヒロドノ)を作り、柱(天の御柱)を立てました。」
とあります。

沼島では古くから、上立神岩はこの矛か御柱で、平バエは神殿と見做されており、このことが沼島こそが「おのころ島」だとする根拠になっているようです。

実にロマン溢れる素晴らしい自然の造形です。


次回に続きます。


posted by 学 at 07:14| 兵庫 ☔| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月09日

北欧3ヵ国を訪ねて 25: スカンセン(野外博物館) 1

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これから数回に分けて、スカンセン(スウェーデンの伝統的な建物を移築した巨大なテーマパーク)を紹介します。
多くの家族連れや観光客で賑わっていました。
写真は2018年6月2日(土)、11時半から12時までの撮影で、快晴に恵まれました。




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< 2.スカンセンの地図、上が北 >

黒線はトラム、赤線は今回紹介する徒歩ルート、緑線はエスカレーター、オレンジ枠は今回紹介する農家です。


* スカンセンについて

1981年に開園した世界初のこの野外博物館には、スウェーデン全土から移築された160以上もの代表的な家屋や農園が点在しています。
広大な園内(直径600mの木々に覆われた丘)には動物園や水族館、様々な工房街やミュージアムショップもあり、大人も子供も楽しめるテーマパークです。

私はここで北欧文化の基層、昔の生活の一端を見ることを楽しみにしていました。
私はスウェーデンだけでなく、ノルウェーとデンマークにある同様の博物館も訪れたました。
それらから3ヵ国の相違、建物の構造や生活、展示方法などの違いに気づくことも出来ました。


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< 3.停留所Nordiska Museet/VasamuseetからSkansenまで >

ヴァーサ―号博物館を出てもう一度、北方民族博物館の前に出てトラムに乗り、スカンセンで降りた。
この間、バスもあります。
実は記憶が定かでは無いのですが、降りたのは大通りにある下の写真のトラム停留所だったと思う。
スカンセンのゲート前にも停留所(バスやトラム)はあったと思うのだが。

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< 4. スカンセンの入場ゲート >

上の写真: 入場ゲート。

下の写真: ゲートから入場して、少し上った平坦部から振り返ったところ。


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< 5. いよいよ野外展示場へ >

上の写真: 平坦部を奥に進むと大きな岩をくり貫いた入り口が見えます。
中にあるエスカレーターに乗り、さらに丘の上に行きます。

下の写真: 丘の上に出て、今来たゲート側(南側)を見下ろしている。



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< 6. 伝統家屋 1 >

最初に見た伝統家屋群。
この辺りは下り坂の周囲に当時の民家やショップが集まっている。
家庭菜園も再現されている。


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< 7. 伝統家屋 2 >

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< 8. 伝統家屋 3 >

ちょうどショップから出てきた女性。
この方は係員なのでしょう。
この野外博物館には、所々に説明や作業の模擬の為、また店員としてこのような衣装を着ている女性がいました。


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< 9. 伝統家屋 4 >

この二つは屋敷や公的な建物などで、民家ではないようです。

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< 10. 伝統家屋 5 >

これら建物には入れるものとそうでないものがあります。
また入れても、デモや説明をしている建物は限られています。
建物には、建築年代や建築地、使用目的などが書かれた看板がある場合もあります。

下の写真: 1810年代に建てられた商人の邸宅です。
北欧の赤壁の家を見るのを楽しみにしていましたが、ここにはたくさんありました。

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< 11. 農家 1 >

上の写真: 邸宅の庭園だろう。

下の写真: 中で説明が行われていた農家。
地図でオレンジ枠のあるところです。

この境界を囲む柵の形は北欧3ヵ国に共通していました。


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< 12. 農家 2 >

この一群の建物は、ノルウェーとの国境に近いスウェーデン中央部Härjedalen、ストックホルムから北西に約400km行った標高500mの高原地帯にある農場を再現しています。
この地の主な生業は牛の繁殖で、土壌は貧弱だったので大麦を栽培し、林業も重要でした。
周囲の森には熊、狼、ヘラジカが生息しており、冬は雪に覆われます。

建築材は全てが木材と言えます。
壁は構造体であり、いわゆる木組みのログハウスです。
屋根材も分厚い木材を縦に並べ、その下に白樺の樹皮らしいものが敷いてありました。
断熱の為のレンガや土壁の使用は無かったが、室内にある竈は大きく、暖炉も兼ねているようです。


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< 13. 農家 3 >

これらは牛などの厩舎なのでしょう。
今考えれば不思議なのですが、周辺に狼がいるのに、上の写真の厩舎の入り口は簡単な柵だけでした。

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< 14. 農家 4 >

建材から家具、生活用品なども多くは木製です。
北欧の人々が、木工製品に優れている理由がわかります。

下の写真: この左端にほぼ天井に迫る大きな暖炉があります。
ここは食堂兼居間なのでしょう。


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< 15. 農家 5 >

上の写真: 部屋に入ると、観光客の前で写真の女性が何かの家事作業のデモをちょうどしているところでした。
この部屋は煮炊きが出来る竈があるので作業場兼台所なのでしょうか?
しかし調理場らしいものが見当たらなかった。
この竈の右横に薪が積み上げられていた。
このメインの一軒の数部屋の内、二つの部屋に暖炉(竈)があった。

私は知らずにフラッシュを使い、彼女から禁止だと注意を受けて、一瞬笑いが起きました。



次回に続きます。




ラベル:海外旅行 北欧
posted by 学 at 12:44| 兵庫 ☔| Comment(0) | 連載 北欧3ヵ国を訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月08日

沼島を訪ねて 2

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今回は沼島の中心部、漁村にある神社を紹介します。
なぜか小さい島に神社が多い、そこには沼島ならではの歴史があります。




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< 2. 散策ルート、上が北 >

下の地図: 赤線が今回紹介する散策ルートで、Sは高速艇乗り場です。
赤丸は上から厳島神社、沼島八幡神社、梶原五輪塔、沼島庭園を示します。


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< 3. 厳島神社 >

別名弁天さんと呼ばれ、また戎神社も祀られている。
立派な石組みや石段、巨大な松がありました。
漁師たちが安全を祈願する神社として、当時は岬の先端に建てられていたのでしょう。


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< 4. 港に沿って歩く >

上の写真: 遠くに厳島神社が見える。

下の写真: 進行方向を見ている。


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< 5.沼島八幡神社 1 >

上の写真: 村のほぼ中央、山の裾野の小高い丘の上に神社が見える。
これが沼島八幡神社です。

下の写真: 石段を上り切った境内から。


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< 6. 沼島八幡神社 2 >

上の写真: 境内から見下ろす。
港と漁村が一望できます。
遠くの山影は淡路島、右下に神宮寺が見えます。

下の写真: 境内にある本殿です。


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< 7. 沼島八幡神社の本殿 >

上の写真: 沼島八幡神社の本殿内側正面に掛けられている大きな絵。
この絵は「賤ケ岳合戦」(1583年)を描いており、これが淡路島、沼島の歴史と深く関わっているのです。

この合戦で秀吉は柴田勝家との雌雄を決した。
この合戦で活躍した賤ヶ岳の七本槍の一人、猛将脇坂甚内安治は秀吉から淡路島を与えられます。

淡路島と沼島は古くから、大阪湾の守りの要であり、瀬戸内海に往来する海路の要衝でした。
またこの海峡沿いには由良水軍、鳴門水軍、そして沼島には沼島水軍が存在しました。
後に朝鮮出兵で、脇坂は水軍を束ねる三人の将の一人となります。

淡路島は奈良王朝の時代から天皇家の直轄地で、海水産物を献上する御食国でした。
実は、淡路島、沼島には海人族(海運や漁労を生業とする外来の集団)がいたのです。
このことが漁労や水軍の発展に結びついたのです。
沼島には縄文人の土器が見つかっており、古くから人々は暮らしていた。

古事記の国生み神話に出てくる「おのころ島」の候補地の一つとして、沼島が挙げらています(候補は淡路島島内と周辺の島を含めて11ヵ所)。
この国生み神話の原型は中国の長江流域の稲作文化にあります。
おそらくは大陸から、(対馬)、九州、瀬戸内を経て淡路島に到達した海人族が神話を伝承し、それを天皇家が自らの創世神話に拝借したのでしょう。

沼島と淡路島は、大陸と日本の古代を結ぶ架け橋の一つだったのです。


下の写真: 梶原五輪塔を示す看板。
漁村特有の密集する民家の路地を奥まで進むと、右手にこの看板がありました。
この右手に空き地があり、村人に聞くと、昨日ここで地蔵盆を行っていたとのことでした。


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< 8. 梶原五輪塔 >

下の写真: 右手に二基ある五輪塔の右側が梶原景時の墓と言われています。

梶原景時は源頼朝に仕え、今の明石から広島までの山陽道の守護に任じられ、幕府宿老まで上り詰めていた。
しかし後に義経と対立し、幕府から追放され一族は滅ぼされた(1200年)。
彼は後世、義経の判官びいきとは逆に大悪人と見なされて来た。

梶原景時の墓と呼ばれるものは鎌倉にもあるが、真贋は如何に。

「梶原一族と沼島水軍」によると、以下のように説明されています。
http://www.minamiawaji.ed.jp/jimuken/11sougou/2002/13saihakken/13kagetoki/kajiwara.htm

滅ぼされた年に梶原景時の一族が、沼島城主になった。
これは水軍つながりだそうです。
後に梶原家が沼島八幡宮を創建した。
1521年、足利十代将軍義植が流浪の末、沼島に来て梶原の庇護を受ける。
この将軍が梶原家に後に紹介する沼島庭園を贈呈した。
神宮寺は梶原家の菩提寺でした。
しかし16世紀末、滅ぼされて梶原の治世は終わる。

こうしてみるとこの小さな漁村に、多くの神社仏閣、沼島八幡宮、神宮寺、蓮光寺(居城)、西光寺があることが理解できる。
これらはすべて梶原家の創建によるものだそうです。
墓がここに建立された可能性はあるが、景時が討たれたのは静岡でした・・・。


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< 9. 沼島庭園 1 >

上の写真: 路地を奥まで進むと看板が見えた。
この看板には「伊藤庭(沼島庭園)」と記されていた。
右手に入って行くと、雑草が生い茂る空き家があった。


下の写真: この空き家を迂回して裏に回る。
ここは個人宅の庭です。



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< 10. 沼島庭園 2 >

すると打ち捨てられた石組みの小さな庭が見えた。
鬱蒼と茂る木々の陰になって、庭はいっそう暗く侘しい佇まいでした。

これが室町時代、戦乱と内紛を逃れた10代将軍が過ごした場所であり、庭だと思うと虚しさを感じる。

一方で、淡路島と沼島に不思議な存在感を感じた今回の散策となった。


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< 11. 沼島庭園 3 >

久しぶりに見たサワガニです。
昔は、淡路島の小川では至る所で見られたのですが、ついぞ見なくなりました。
私があまり外出しなくなったからもしれないが。

沼島を散策して不思議に思ったのが、こんな小さな島なのに沢をよく見かけたことです。
水が豊富なようです。



次回に続きます。







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2018年09月04日

北欧3ヵ国を訪ねて 24: ヴァーサ―号博物館へ

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< 1. ヴァーサ―号の模型 >


今回は、ヴァーサ―号博物館と、この巨大な戦艦建造時のスウェーデンを紹介します。
写真の撮影は2018年6月2日(土)10:36〜11:00です。






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< 2. ユールゴーデン島内の観光ルート、上が北 >

訪れた所: オレンジ□印はビジターセンター、黒〇印は北方民族博物館、赤〇印はヴァーサ―号博物館、赤枠はスカンセン(野外博物館)です。

黒線は歩行ルートで、一つは最上端のバス停Djurgårdsbronから、北方民族博物館とヴァーサ―号博物館見学を経て、トラムとバスの停留所Nordiska Museet/Vasamuseetまでを示します。

青線はSkansenまでの7番トラム乗車を示します。
この間は67番のバス で行く事も可能です。
停留所Skansenを降りると、スカンセン(野外博物館)の大きなゲートが見えます。

ヴァーサ―号博物館退出以降は次回紹介します。


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< 3. 北方民族博物館を出て >

北方民族博物館を出て、南側に進み、西側に曲がるとヨットハーバーが見えました。
今日は土曜日なので市民が芝生広場でくつろいでいました。


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< 4. ヴァーサ―号博物館が見えた >

上の写真: ヴァーサ―号博物館。

下の写真: 北方民族博物館の裏側。


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< 5. ヴァーサ―号博物館に入館 >

上の写真: ヴァーサ―号博物館の入り口付近。

下の写真: 博物館に入ると、最初に目に飛び込む光景。

ここも非常に暗い。
逆に、この暗さの中だからこそ輪郭が定かでなく、スポットライトで浮かび上がる戦艦に圧倒されることになる。



* ヴァーサ―号について

これは17世紀に建造された当時スウェーデン最大の戦艦でした。
マストの頂上から竜骨(底)までは52メートル、船首から船尾までは69メートル、そして重量は1200トンもありました。
また64門の大砲が装備されていました。

この戦艦が初航海で沈んだのは、王の命令でより多くの大砲を装備するために甲板を2層式に嵩上げし、バランスが悪くなったためでした。

この船は海中から引き揚げた本物ですが、そのまま展示すると自壊してしまうので全てに樹脂を浸透させています。


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< 6. 左舷 >

まるでパイレーツ・オブ・カリビアンの世界! 不謹慎だが。
船体表面にこびりついたものがうねりながら光沢を放つ光景は実に生々しい。
この船が沈没したのは、初航海の1628年で、そして引き上げられたのは1961年でした。
まさに400年間の眠りから蘇った。


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< 7. 船尾と飾り >

上の写真: 船尾部分。

下の写真: このカラフルな彫刻像は、上の船尾に付いている木製像を復元したものです。
この船には700体の彫刻品で飾られていました。


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< 8. 最上階から眺める >

甲板や帆柱を見ることが出来る。


* ヴァーサ―号建造時のスウェーデン

私は初航海、それも内海を1kmほど帆走して横転沈没したと知って失笑しかけた。
しかしスウェーデン国民はこの戦艦を誇りにしており、確かに来館者も多い。

私にはこんなつまらない結果を招い王、グスタフ2世アドルフが滑稽に思えるのだが?
しかし歴史は面白い、この王こそが強国、最もスウェーデンがヨーロッパで輝いた時代を作り上げたのでした。

私が1年前、フランスのアルザス地方を訪れた時、宗教戦争(三十年戦争)でプロテスタント側のストラスブールはスウェーデンの軍事援助を受けていたと知った。
この時、スウェーデンはヨーロッパの雄、プロテスタントの旗手だったのです。

グスタフ2世アドルフ(在位1611−1632)はデンマークからの独立を果たしたヴァーサ―朝の第6代スウェーデン王でした。
彼が即位した当時、スウェーデンはバルト海の制海権をめぐってロシア・ポーランド・デンマークと交戦中であった。

当時ポーランドはリトアニアと共和国を成し広大な国で、かつスウェーデンと王位継承を巡り仇敵であった。
一方、宗教改革後、カトリック勢と神聖ローマ帝国はプロテスタント勢と熾烈な戦いを続けており、やがて北欧プロテスタントの国々を脅かす最大の敵となっていた。

そこで彼はポーランドとの泥沼の戦いを休戦し、カトリック勢と戦う為に三十年戦争に参戦した。
その嚆矢となったのがデンマークと同盟を組んで戦った1628年のシュトラールズント攻囲戦で、この勝利がスウェーデンの版図拡大をもたらした(この年にヴァーサ―号が沈没)。

残念ながら彼は1632年、38歳で戦死した。
このことがまた彼を宗教改革での殉教者にした。

彼は若くして王になり、生涯、戦場を駆け巡ったが、それだけではなかった。

彼の統治によりその後のスウェーデン国制が出来たと言える。
4つの身分からなる議会制度や司法制度、また地方行政を整えることにより徴兵制度を築いた。
大学やギムナジウムなどの教育機関を創設した。

また軍事教練、戦法、兵器を発展させ、ヨーロッパの軍事大国になった。
このことが巨大砲艦ヴァーサ―号への建造に繋がった。

経済力の貧弱なスウェーデン軍が、強大になれたのはその国家誕生に起因するかもしれない。
1523年、独立を戦ったのはヴァーサ率いる農民達でした。
このことが4つの身分(聖職者、貴族、市民、農民)からなる議会制度を可能にし、徴兵制度を容易にし、大陸のような費用の掛かる傭兵制度を不要にした。

こうしてスウェーデン帝国への道のりと、ヴァーサ号が結びついているのです。












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< 9. グスタフ2世アドルフ治世の版図 >

白丸がシュトラールズント、黒丸がストックホルムです。
彼が帝国の礎を作った。


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< 10. グスタフ2世アドルフとシュトラールズント攻囲戦 >

シュトラールズントはハンザ同盟に属する港湾都市で自治都市でした。
ここを神聖ローマ帝国軍(カトリック連盟軍)が攻めると、この都市はデンマークとスウェーデンに救援を求め、形勢は逆転した。





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< 11. 三十年戦争の変遷 >

番号Bがグスタフ2世アドルフが参戦した経路です。
プロテスタント勢は英国と北欧、バルト三国、北ドイツです。

次回に続きます。




ラベル:海外旅行 北欧
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2018年08月31日

連載中 何か変ですよ 203: 暴露本「炎と怒り」の紹介 4: トランプタワー 2

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今回で、この暴露本の紹介を終わります。
初期の大統領首席補佐官を巡るドタバタを紹介します。




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< 2.トランプ政権を去った人々 >

多くの人々−マチュア政治家、経済界の成功者、人気のポピュリストがホワイトハウスを賑わしては、早々と去って行った。
去った多くは政権への爆弾発言(トランプを無能呼ばわり)や暴露、非難を繰り返している。
この混乱は今も続いている。


* 初期の大統領首席補佐官を巡るドタバタ


大統領首席補佐官とは何か?
彼はホワイトハウスとその行政部門、軍人130万人を含む約400万人のトップに立ち、この組織の運営を大統領から任されることになる。
特にトランプ政権では。

しかしトランプの直情径行、専門家嫌い、家族重視、政治への無知が災いして、大統領首席補佐官選びは脱線を繰り返しながら、最後には政権内で差し障りのない人物が選ばれた。

そして初代の大統領首席補佐官プリーバスは半年で更迭された。







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< 3. 相関図 >


* 「炎と怒り」の読後に思うこと

他国のことではあるが、怒りよりも深い絶望感にとらわれた。
それは今、日本も含めて欧米先進国が米国と同様の凋落の道を進んでいると思うからです。

少なくとも米国は1970年代初期までは、ホワイトハウスの暴走−ベトナム戦争やウォーターゲート事件に対して、マスコミは良識を持って立ち向かい、そして国民も遅ればせながら正しい道へと方向転換させることが出来た。

しかし、欧米先進国は80年代以降の経済金融政策の大転換による格差拡大、さらに戦後から始まっていた後進国での紛争拡大による大量の難民発生と移民の受け入れが相俟って、欧米社会は不満のるつぼと化した。

このことが特に米国では、度重なる規制緩和によって報道の自由度を失わさせ、その上、今のインターネット社会ではヘイト情報が世論を左右するようになった。

こうして容易にポピュリズム、今は右翼の煽情によって、不満を抱く人々は否定と排除の論理で強く結びつき、より強固になりつつある。

このことは全ての金融資本主義国家、欧米先進国を蝕みつつある。
北欧すら逃げることは出来ないだろう、災厄の到来は遅れるだろうが。
それは今の日本にも当てはまる。

欧米から離れた島国日本は、その影響が軽微であったが、アベノミクスによって格差拡大の現況である金融資本主義へと大きく舵を切ったことになる。
西欧の優良国であったドイツも経済格差では同様に蝕まれ始めている。

各国で進んでいる国民の政治不信、右翼ポピュリズム政党の台頭、格差拡大はすべて軌を一にする。

それはここ半世紀にわたる戦争と経済がほぼ規制されず放置され、悪弊が拡大し蔓延してきたからです。

このことが、今の惨めで馬鹿げたトランプ政権を生んでしまったのです。

私には、この先行き世界は着くところまで行ってしまうような気がする。

歴史にその例はいくらでもあった。
ドイツ国民が最初からヒトラーにドイツと世界の壊滅を託したのではない。
始め一部の熱烈な国民がヒトラーの人柄、煽情、政策に共感し、期待していた。
そのうち騙されてか、無謀な計画なゆえに行きがかり上、破滅の道を進むことになった。

いつものことだが、日本のファシズム、大陸進出と同様で、マスコミが沈黙し権力の集中が進み、後戻りが不可能になった。

まさに米国、日本、ドイツなでかつての優良な国で政治の劣化が起こっている。
その一つの現れがトランプ現象です。


これで終わります。





ラベル:安倍 格差 将来
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2018年08月29日

北欧3ヵ国を訪ねて 23: 北方民族博物館へ

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今回は、ストックホルムのユールゴーデン島入口にある北方民族博物館を紹介します。
またストックホルム中央駅でのバス停探しの失敗も紹介します。



* バス停探しの失敗


ユールゴーデン島に行くためにバス停を探す必要がありました。
事前にグーグルマップで調べていたのですが、どうしてもこのバス停の位置が不明瞭でした。
今回、旅行で使う他のバス停はほぼグーグルマップで確認できましたが、ここだけは別でした。
乗るバスの路線は69番で、バス停はCentralen から Djurgårdsbronまでです。

非常に分かり難いので、以下の地図と写真を使って説明します。





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< 2. 地図、上が北 >

上の衛星写真: ストックホルム中央駅でバス停を探して歩き回った経路。

朝、エルブシェ駅から電車でセントラルシティまで行き、地上に出ました。
黄色の直線の破線が電車、オレンジの破線が地上に出る経路です。

そして駅前の大通りVasagatanが高架道路と交差している所に向かいました(写真3)。
高架下にバス停はあったのですが、No.69の表示はありませんでした。

通りがかりの老婦人に尋ねたところ、高架道路上にあるだろと教えてくれ、さらに途中まで一緒に行きました。
オレンジ色の実線を進んだ。
しかし、道路は工事中でバス停は無くなっていました(写真4と5)。

そこでまた別の夫人に聞くと、中央駅まで戻りなさいと言われた。
そして中央駅に入って、北側のシティターミナル(長距離バス用)の方に向かった。
オレンジ色の破線を進んだ。
しかし、そこにも無かったので、諦めて高架道路の上に出た(写真6)。

この道路沿いにバス停があり、東行きが目的のバス停(中央駅寄り)でした(写真7)。

写真3の地上に出てから、バス停に辿り着くまで35分かかりました。


下の地図: 赤線が69番のバスで、白丸で乗り、黒丸で降りた。
黒の矢印が北方民族博物館です。
路面電車に乗り換えて、さらに近くまで行くことは出来ます。


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< 3.バス停探し 1 >

上の写真: セントラルシティから地上に出た所。
Vasagatan通り沿いのビルから出た。

下の写真: 高架の右手奥が中央駅。

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< 4.バス停探し 2 >

上の写真: 高架下のバス停。

下の写真: 右手の階段を昇って高架道路に出た(西向き)。
西側を見ている。


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< 5.バス停探し 3 >

上の写真: 高架道路上の工事でバス停が無くなっていた(東向き)。

下の写真: 中央駅に戻る。



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< 6.バス停探し 4 >

高架道路の上から撮影。


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< 7. 目的のバス停 >

左下の写真: バス停内の上部に3路線の運行状況が表示されている。
バス路線69、バスの行き先Blockhusuddeen、到着時刻の表示が見える。
これに乗ります。

右下の写真: バス停内にバスの時刻表が貼られている。

あまり待つことなく目的のバスに乗れた。


私はバス停の探し方を間違っていた。
私はグーグルマップでバスが東に向かって走るのがわかっていたので、この高架道路上を中央駅の近くから探すべきだった。

ストックホルム中央駅周辺の市内向けバスの停留所は分散しており、非常に探し辛いので、皆さん気を付けてください。
私はバス停のマップを見つけることが出来なかった。



* 北方民族博物館へ

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< 8. 降車したバス停Djurgårdsbron >

ここまでのバスの乗車時間は9分です。

上の写真: ユールゴーデン島に掛かる橋と北方民族博物館が見える。

下の写真: 今、バスが走って来た道(西側)。


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< 9. 橋の上から 1 >
上の写真: 西側を見ている。

下の写真: 東側を見ている。


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< 10. 橋の上から 1 >

下の写真: 橋の東南側、ユールゴーデン島の入り口にあるビジターセンターが見える。


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< 11. ユールゴーデン島に入った >

上の写真: 今渡って来た橋を振り返る。

下の写真: この道を進むとユールゴーデン島に入っていく。


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< 12. ビジターセンターと北方民族博物館 >

上の写真: ビジターセンターは最近出来たらしい。

ここでストックホルムパスがやっと購入できる。
前日、訪れた二つの博物館は無料だったので、このパスは不要だった。
しかし今日から訪れる博物館は有料なので、このパスを使います。
このパスで、多くの博物館、クルーズ、Hop on Hop offバスを追加料金なしで利用します。

私の購入したパスは、2日間で845クローナ(10745円)でした。
結構高いのですが、利用したドロットニングホルム宮殿への往復クルーズと入館料だけで340クローナしますので、十分元がとれます。
ただ貪欲に観光せざるを得なくなることが問題と言えました。

またトラベルカードは72時間で240クローナ(3058円)でした。
これも全ての交通機関(地下鉄、路面電車、バス、電車)が使えるので非常に便利です。
渡し舟やフェリーも使えるのですが、使う機会はなかった。

この二つのカードの開始時間は私の使用開始からスタートするので、これも使い勝手が良かった。
ここではスムーズに購入出来たが、他の二ヵ国のカードは開始時間の設定が異なり、少し手こずることになった。

購入する時、担当者が「このパスは交通手段に使えない」との注意があったので、私は「72時間用のトラベルカードを持っている」と答え、納得してくれた。
このようなパスを買う時でも、いくらかの英語が必要になりました。


下の写真: 北方民族博物館Nordiska museet。
外観は宮殿のような建物ですが、中は大きな吹き抜けのフロアが占めており、その周囲を囲むように細長い展示室が続いている。
したがって展示規模はそれほど大きくはない。
確か3階建てだったと思う。


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< 13. いよいよ博物館に入館 >

ここでは荷物をロッカーに入れなければならなかったと思います。
今回の旅行で、入館時のロッカーは全て無料で、コインが必要な場合は館員が貸してくれました。


上の写真: 入館すると巨大な座像が目に入る。
これはスウェーデンがデンマークから独立を果たした時のグスタブ・ヴァーサ王です。

ここでは16世紀以降の北欧の生活様式―室内、衣服、農工具、陶器
などと現代の照明器具、ラップ地方(サーミ人)の暮らしが紹介されている。

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< 14. 衣服と家具 >

上の写真: 1860年代の衣服。



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< 15. 農家と照明具 >


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< 16. サーミ人 >

上の地図: サーミ人の居住地。


* 感想
この博物館の展示も照明が暗く、さらにセンサーで観客を感知して展示用照明が点くようになっており観客が少なかった為、本当にひっそりとしていた。
おかげでじっくり見れましたが。

何かもう一つ得るものが無かったように思う。
海外から来た人間には、数百年前からの風俗を見ても、北欧を理解することが難しいのかもしれない。

全体の印象は、北欧の文化は西欧とキリスト教の影響を強く受けているらしいことでした。
現代北欧の政治経済社会は素晴らしいので、何か西欧との違いを発見したかったのだが見つけることが出来なかった。

照明器具や椅子などの家具のデザインには北欧らしさ―シンプル、機能性、そして木質を生かした特徴、があるように感じた。

今回、北欧を歩き回って不思議な感覚に囚われたのは、異なる人種(顔)が予想以上に多い事でした。
東欧や中東からの移民が多いこともあるのだろうが、他に理由がありそうです。
北欧三ヵ国の多くは紀元後に移って来たゲルマン人だが、スラブ圏と接しており、また先住民族のサーミ人、隣国のフィンランド人はモンゴロイドなので、元々、人種の交配が進んでいたのだろう。

この博物館の100年前の風俗を見て感じた貧しさは、スウェーデンの自然景観や多くの移民を出した歴史に繋がっている。


次回に続きます。

ラベル:海外旅行 北欧
posted by 学 at 14:14| 兵庫 ☀| Comment(0) | 連載 北欧3ヵ国を訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月27日

連載中 何か変ですよ 202: 暴露本「炎と怒り」の紹介 3: トランプタワー 1

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< 1.トランプタワーのロゴ「トランプ」を隠すアイデア >


今回は「炎と怒り」から「トランプタワー」p44-p55を紹介します。
トランプ周辺の人物がトランプをどう評価していたかを見ます。



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< 2. スキャンダルと内紛 >

上の写真: トランプとの不倫を暴露した女性が脅迫された。
この手の脅迫は不動産の立ち退きによく使われる手段(決して足がつかないので)。

下の写真: 更迭された女性補佐官がホワイトハウスの暴露本を出版予定。
毎日のように噴出するトラブルとスキャンダルがあっても平然と否定し、笑顔を作り、決してめげないトランプ。
そして見捨てないトランプ支持者達が大勢いる。


* 大統領選挙前後における身近な人々によるトランプの評価

民主的な選挙で選ばれた大統領なのだから、さぞかし立派で優秀な逸材だろうと他国の人間としては思ってしまう。

はっきりしているのは彼が類まれなスター、TV番組の人気ホストだったということです。
そして優れた事業手腕(清濁併せ呑む?)で多業種を含む不動産王であることです。

彼の周囲の人間とはたいてい大富豪や有名人、少しは政治家です。
もっとも大富豪に関してはトランプに似て素行や身持ちが良いという保証はない。

そんな人々がトランプをどう見ているかが明らかにされています。

結論として言えることは、トランプは選挙に勝てた人物ではあるが、政治で国をリード出来る人物とは、誰も思っていなかったことです。

しかし彼が大統領になったなら、彼を利用しようとして群がる人々がいる。
例えばこれら人々は自分のキャリアアップや名声の為、または脱税や事業拡大の為、そして政治的に利用で出来ると考えた。

彼らの多くは自分自身をトランプより優れた者と考え、猿回しなら可能だと考えた。
しかし残念ながら多くは気まぐれな猿を使い切れず、後にホワイトハウスを離れていくことになる。

少なくともトランプは、気にくわない猿回しを首にする決断力を持っている。
ホワイトハウスから、今なおトランプの「お前は首だ」(TV番組アプレンティス)と、野心で目がくらんだ人の溜息が毎日のように聞こえて来る。


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< 3. 相関図 >

次回に続きます。

ラベル:国際社会
posted by 学 at 08:51| 兵庫 ☁| Comment(0) | 連載中 何か変ですよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする